「この世界は、遊ぶためにあるのだ!!」の発言について興味深い考察をしていきたい。
哲学的な語り口になると思うが聞いていただきたい。
我々人間はもちろん仕事(労働)をする。
仕事をすることは、やはり「遊ぶため(楽しむため)」に仕事をするというふうに解釈できる。
もちろん、お金を稼いで生活を健常維持するためでもあるが…
【≫「お金を貯める=貯金をする」…やはり遊ぶためである。要は、「遊ばなければならない=(人間・人生は)遊ぶための世界」であるようだ。】
この世界は、「学ぶため」であると同時にやはり
「遊ぶこと=楽しむこと=経験」も
確かに「仕事」であるようだ。
要は、あらゆる地球上の人生活動をレコード(記録)する役目を
人間は担っているようだ。
【≫情報の筆=人間自身である】
だから、日本人のように集団主義者ではなく、
多様性を重んじる欧米の「個人主義が正しい」(【この世界では=3D世界】)のは
確実視される。

例えば、階級社会が色濃く残る英国では、アッパークラス(上流階級)の人たちは、誕生してから死ぬまでひたすら「遊ぶこと」が仕事になるが、確かに「幸せな人」たちである。
彼らは、世界中を旅したりして、いろんな経験を肉体にレコードできるからである。だから、一般の労働者のように毎日同じような生活パターンになると「経験」が限られてくるので、ある意味、「役に立たない人間(経験という分野では…)」というレッテルが貼られてしまうことがある。
裕福である人に対しては、日本では嫉妬する人が大多数ではあるが(殺害されてしまう方もいる)、実は、尊敬(リスペクト)すべき対象なのである。
そのような家柄に生まれた子どもは
本当に「しあわせ」である。
どんどん遊ぶことである。
一般の労働者・庶民は
主に老後に『遊ぶ経験』をたくさんすることになるが
もちろん若いうちからに越したことはないと思う。
【(注)=写真・琵琶湖の畔にある長浜城の遠景→◎03302013◎】
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