キネマ旬報1969年10月秋の特別号での父のインタビュー記事 その1 | 日尾昌之 masayuki hio

日尾昌之 masayuki hio

週休4日のアウトサイダー

先日、投稿しました、キネマ旬報1969年10月秋の特別号での父のインタビュー記事を少々。聞き手は、高橋英一さん。

 

 

高橋「まず、お尋ねしたかったには、最近、封切りを中心とした系統館獲得政策を、積極的に進められるんですが、これには何か理由がるんですか。」

 

白井「立派な理由があります。封切り館配収の総配収に占める比率は約60%と高率ですから、封切り館を確保することは重要な問題です。」

 

高橋「具体的にはどういう形で進んでいるんですか。」

 

白井「最近のケースですと、大阪梅田のコマゴールド、北九州の黒崎松竹(旧黒崎東映)、大津松竹教育会館ホール(旧大津大黒座)、東京では吉祥寺日活、それから、大井、荘原、中野にある武蔵野系のチェーン館といったところ、九州の宮崎SY松竹は松竹の洋画圏、また、富山に新築中の劇場があるといった状態です。」

 

高橋「まだふやすんですか。」

 

白井「まだまだやります。今、松竹の封切り館は九十数館、百館確保が当面の目標です。ほかに、こういう理由もあるんですよ。封切り館がしっかりしてると、独立プロにも場所貸しができます。例えば、大映さんはフジテレビ・勝プロの「人斬り」に八千万円のアドバンスをしました。東宝さんもフジテレビ・東京映画の「御用金」については配収から経費を控除した残額の七割を独立プロ側に払ってます。封切り館というしっかりした場所あるから独立プロに対して最低保証もできるんです。独立プロにとっても安心感がでますし、そういうところからも市場を拡げておこうというわけです。」

 

高橋「白井さんは現在、全国営業・宣伝担当をしておられるが、製作担当も長かった。(中略)製作と営業両部門の違いはどんなもんですか。」

 

白井「私が製作担当時代に辛かったのは、松竹映画のマーケット小さかったことです。マーケットがしっかりしていると、自主製作も順調にいきますし、独立プロとの提携もできるようになるんです。」

 

高橋「だから、マーケット拡充に積極的なんですね。」

 

白井「そういうわけです。」

 

 

草創期の松竹は、父のオヤジの白井松次郎(NHK連続テレビ小説おちょやんの鶴亀株式会社の大山鶴蔵社長)が、京都の劇場を次々と傘下に収めて行きました。このインタビュー当時の父は、かつてのオヤジの仕事をしていると、意気に感じていたのかも知れません。