古老の伝承によりますと、祟神天皇のみ世、東国の賊を征伐しに、建貸間命(たけかしまのみこと)が軍隊を率いて霞ヶ浦方面にやってきました。。建貸間命という人は常陸国の那賀の国造の初祖(とおつおや)です。軍人(いくさびと)を率いて、安婆の島にやどって、東の浦を望見したとき、煙が見えましたので、敵か見方かを煙のたなびき方で占ってみました。
もし味方(祟神系の人)の煙ならば、こちらへたなびいて、私の上をおおえ。もし、荒ぶる賊(にしもの)の煙ならば、反対の海の方へなびけ。すると煙は海をさして流れてゆきました。煙占いどおり、その賊は国栖(クズ)で、二人の首師(ひとこのかみ)に率いられた一団でした。
そこで建貸間命は兵に命じて戦(いくさ)を挑んだのですが、賊は砦を固く閉じて出てきません。一計を案じて、一隊を選んで山の隈(クマ)に伏せ隠し、本隊は霞ヶ浦に舟をしたてて旗を立て、琴、笛を奏でて、杵島(きしま)の歌曲を七日七夜も歌い舞い続けました。
国栖たちは皆砦から出て、浜辺に群がり立ち、遊びほうける我が軍をあざわらいました。時こそよしと建貸間命は騎馬隊に命じて国栖の砦を閉ざし、伏せ隠した一隊と挟み撃ちにして、ことごとく国栖を捕らえ焼き殺してしまいました。
現存する風土記は三巻しか有りませんが、このように『七』を織り込んだ説話が有りました。