秦の初代皇帝・始皇帝が国内統一の証として、国内6ヶ所に建てた碑のことです。始皇帝の徳を讃える7基の石碑から成りますが、何故7基なのでしょうか
普通に考えれば、代表的な各地方に一基づつ設置すればよいものを明らかに設置数が少ないように思えます。
石碑の数に何らかの意味があるとすればなんでしょうか?
それは始皇帝の信ずる宗教儀式に適う形に合わせていると思います。
しかし、先例がない場合は自分の先祖の地の習慣や、先祖の伝えてきた宗教から縁起のよい言葉や吉数に自然と沿ったものとなったでしょう。
それが吉数『七』ではなかったかと思います。石碑の数は『七基』でなければならなかったのです。
『史記』秦始皇本紀によれば、紀元前221年の建国の翌年から10年間のうちに4回にわたって国内巡幸を行いこの際に『七刻石』を建立したといわれてます。
この碑文を読めば、始皇帝が全国統一をしたときに、度量衡の統一とともに文字も統一したことの経緯も記録されているかもしれません。
その陰には廃字となった文字もかなりあったでしょう。
廃字されたのは、韓・趙・魏・楚・燕・斉の6ヶ国(戦国七雄)の中でまちまちであった文字でした。
残念ながら、現存するのは、『泰山刻石』と『瑯や台(ろうやたい)刻石』の二つだけだそうです。拓本か翻訳文を是非拝見したいです。