平成12年(2000年)頃発掘されたと思いますが、

この時〔富本銭〕と誤報道され、富本銭(ふほんせん)という誤った呼び名が定着しました。

 しかし、『富夲銭』ふとうせんとも読めると思います。銅銭の文字の周りに七星があるのも証拠です。また、夲の字は金文(青銅器に鋳造印字れた文字)で大と十(七を表わします)の合わせた文字から成っていると考えれば可能性があると思います。


特に日本書紀に池の築造を示す記事ではないかと思われる。

次のような記述があります。

第26巻 斎明天皇 二年(656年8月)


是歳、飛鳥の岡本に、更に宮地を定む。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

のちに飛鳥岡本の宮という。田身(たむ)の峰に、冠(かんむ)らしむるに

周(めぐ)れる垣をもってす。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


すなわち水工をして渠(みぞ)掘らしむ。香具山の西より石上(いそかみ)山に

至る。石上山の石を積みて、宮の東の山に石を累ねて、垣とす。・・・・・・・

また、峰の上の二つの槻の木のほとりに宮を建て、二槻の宮とす。


この記述が、飛鳥池と背後の石垣と同じという説があります。

私も驚きました。また池には〔亀形石造物〕があり、その形が道教の影響を受けた物と思われます。


 なお、富夲(本)銭は〔和銅開宝〕の前に鋳造されたことが、この時の発見で、後に判明しました。

この銭は群馬県藤岡市でも関東で唯一発見されてます。


田身(たむ)の峰が、たぶの木が多く生える峰であれば、また発音が

鼻音代償の関係として説明が出来ます。槻(けやきの古名)の木は

たぶの木と同じか不明ですが、解明できれば更に面白くなります。