お久しぶりでございます。


奄美大島へ行って参りました。


ずっと行きたかった奄美。


なんか、不思議なところでした。


海に潜って、岸辺に上がったら、ぽろぽろと涙がこぼれてきて、


不思議な体験もしました。


ああ、社会に出てから、5年くらいたって、やっぱどこかで、変に力が入っていたんだろうなあと思いました。


いまだに、どれくらいの心意気で仕事をしていくべきなのか、よくわかりません。


私がしている仕事は、ある意味、特殊、ある意味、ふつうな仕事です。


仕事は仕事、私生活は私生活、と分けることができないような、


けっこう、自分の生活に影響を及ぼす仕事ではあります。


だからなんなの、といわれるかもしれませんが、


奄美から帰ってきて、ますます仕事に打ち込めなくなっている自分に気づきます。


やはり、売っていきたい、という気持ちが、あまりない。


いくら上司から、これをね、もっとね、こうしていくとね、もって売れると思うの、


みたいに言われて、まあまあ話を合わせることができても、心のうちでは、


勝手にしてくれ、と思っている。


生活をしていく、という以上、お金が必要だということは、頭ではわかっている。


ただただ毎日、息をして、ご飯を食べて、音楽をきいて、笑って、眠っているだけなのに、


どうしてこうも、お金がかかるのだろう。


でも、少しずつでも、お金に頼らない生活にしていきたい。


ふつふつ、そう思うようになっていきている。


なんでもかんでもお金で買う生活というものに、飽きてきた。


疑問も感じてきた。


そんなに、お金で尺度をはかれるほど、資源も、ものごとも必要ないんじゃないか。


そうやって、馬の前にニンジンをぶらさげて、走り続ける、という世の中に、ついていけなくなってきた。


そういう状況かもしれない。


ただ生きる、ということをしたい。


ふつふつと、そういう気持ちが湧いてきた。


有機農業運動とか、循環農業運動とか、そういう運動に、興味はない。


こうあるべき、とか、そういうことに興味はない。


ただ、自然の音に沿って、自然に生きたい。


それが、今の私の中から聞こえてくる、声。


そのために、どういう選択をしていったらいいのか、今、静かに、ぼーっとしている。




私の、死生観はきっと、ある程度、暗い。 ある程度、静かである。


昔みた、映画「バンビ」のように、ただ、毎日、野山で遊んで暮らせたらいいのにな。


「山にはすべてある」


この間、山に登って、そう思った。


生命があふれていて、土からのもりっとしたエネルギーに包まれているかんじがした。


山で過ごしてみたい。そういう気持ちがある。


まったく動く気がしない。という気持ちになる自分と、


なんか面白いものがある、動いてみよう、と思って動く自分と、


あっ、生きるために動かなきゃ、と思う自分と、


3つの自分のバランスがとれる気がする。





仕事をやめさせてください、と、そろそろ言いそうな自分がいる。


そろそろそのときが近づいていると思っている自分がいる。


納得させられるのだろうか、上司を、まわりの人々を。


山にはすべてがある。


それが、最近、私が悟った言葉である。


自然によりそって生きている人々の中には、豊かさがある。


人間からだけでなく、そういった部分から、安心というものは生まれる。


安心とは、そういう部分からやっていくる、そんな気がする。


お金だけでは、安心はやってこない。


そういう部分から、安心とはやってくる。


私はそう思っている。