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家の庭できれいに桔梗が咲きました。


見事です。


最近、体が、ぶたくさに反応するようになり、

くしゃみが出たり、のどがイガイガしたり、ちょいときつい日々を送っております。


そんな中、今日、沖縄のユタについて、じっくり考える時間があり。。


ユタについて、調べてみますね。


そう、カフェで三線を演奏する話、


なんとなく、弾けそうな時間があったら、

自然に弾こうかということになり、

とりあえず三線を持参することになりました。


ぶたくさくんのおかげで、のどの調子はいまいちですが、

うまくいくといいなと思います。


今日は体の調子がいまいちで、仕事を早退させてもらいました。


気持ちを張って働いたり生活していると、

きづかぬうちに、限界よろしくというところを超えていて、

ふとした瞬間に、もう無理っす、という状態になってしまう。


というのが、私の生きているパターンです。


うまいこと、リフレッシュするのが苦手というか、

ためこみやすいというか。


背負いこみやすいのかもしれません。


だから、

あんまり責任のある仕事などは、抱えられないし、(抱えると、適度がわからなくて、壊れます)

とにかく一日の大半をマイペースに過ごしています。


たくさん興味のあることはあって、

いろいろ試してみるけれど、

あまり長続きはせず、

きづいたら、いろんなものを溜め込んでいたりして、

吐き出す、吐き出す、

ふう、、

というかんじです。


私は何のために生まれてきたのだろうとよく考えます。


自分にとって唄を唄うことは、神様とつながること、自然と一体になること、

そんな気がします。


沖縄や奄美の人々の中で、音楽が、生活の中に、自然とある。


それに、すごくあこがれます。


私にとって、音楽は、それくらい、自然なものです。


そして、できれば、自分で食べるものを、自分で育てる。


それが、とても、あたりまえに、自然なこととして、生活の中にあってほしいと思っています。


映画も好きだし、本や雑誌も好きだし、

いろんなところに出かけていくのも好きだけれど、

音楽と、農が生活の中に、自然にあってくれたら、

どんなにほっとするだろう。安心するだろう、、と思います。


近い将来、

みんなにとって、

わたしにとって、

そういう生活は、くるのでしょうか。


よくわかりません。


そういう系の雑誌や、

そういう系の人々だけが、そういう生活をする、のではなく、

ほんとに自然と、みんなの認識のなかに、

そういう気持ちが湧いてきたり、思い出してきたり、するといいなと思っています。


自分が思っていることは、

特別なことではなく、

誰の奥底にもある気がしています。


それとそれを分けるからつらくなるのであり、

ほんとは、みんなで、思いや辛さや楽しさを、

いたみや、やさしさを、

温かさや冷たさを、いっしょにもっているような気がします。


誰かが辛そうで、

支えようとすると、あやまって、自分が倒れてしまったりするけれど、

それでいいんじゃないかな。と思ったりします。


すべての物事に、プラスとマイナスがあって、

磁石のように、人々が引っ張りあっていて、

いいことと、悪いことが、ひっぱりあっていて、

そういったことがすべて渦巻いている世の中で、


ふうっと、ため息をつきながら、


そういった循環の中で、私が暮らしている。


そういった不思議さが、あります。


ほいでは、また。