これは私自身の動画です。最後のランディングのスピード感がいいねえ・・。同じ処でグルグル、ステイして上昇気流キャッチを狙うもダメ。ここを外れれば直ぐ降りてしまうので仕方ない(67歳直前のフライト・・最後かも・・。)

こんにちはー・・、さぶです。

「梅雨」だと言うのに雨らしい雨が降りません・・、「空梅雨」だろうか?それとも後半にドドっと災害を伴って降るのだろうか?・・願い下げですよね。まあパラパラと軽いにわか雷雨やサーッと降る雨はあるけど・・。
俺の固定したイメージじゃ「梅雨」と言えば毎日のようにシトシト降る感じだね、どうやら私の地域だけではないようです・・昨夜は降ったけど朝になったら晴れている。


さあまた昔話です・・・S61年4月

4月に入れば私は百姓仕事に専念します、・・アルバイトの農外収入の方は暫く休みです。
昨夜(31日)は2番目義妹M子の子供達3人が泊まった、M子は5㎞程の所に嫁いだので行き来はまめである。子供達は春休みでのんびり、年頃も同じだから気心は知れていた。
M子が夕方迎えに来て、今度は次男Sと長女Y子を連れて行って、翌日の夕方妻のC子が二人を迎えに行った。

このように交流は続いてきたが、今は勿論子供達は共に来ない・・。とうに親離れして社会人になり独立しているからね、それでもM子夫婦とはまめに続いている。‘まめ’と言ってもそれなりに忙しいので年に数回と言うところだろう、・・私は何時も楽しみに待っているんだ。

5日、・・高校野球の春の選抜大会の決勝戦が行われた。これがなんとまあ!宇都宮南高校と強豪池田高校だったんだ・・。
宇都宮は大フィーバーだったよ。
・・と言うのも南高校はまだ創立10年しか経っていない、私らが高校を卒業して10年後の創立なんです。・・それが春の選抜大会で決勝戦ですから大騒ぎも大騒ぎで、大変なことだったねえ・・。

この‘大変’を説明しよう、・・はっきり言うと‘費用’の問題です。学校創立して直ぐ野球部ができたとしてもまだ実績はありませんから、部費は年間の活動費でいっぱいでしょう。
それが甲子園であれよあれよと勝ち進んでいく、嬉しいけど関係者の顔色は段々青くなってくるよ。選手たちに「負けろ・・」とは言えない。関係者の本音は?・・と言う訳で関係者は苦労したらしいよ。
普通なら卒業生に寄付をお願いして集めるよね、でも卒業生だって7回分しか居ないだろ、400人として7回で2800人しかいないよ。例えば3人に1人が寄付してくれるとして933人、1口5000円はどうだろ?まだ卒業したばかりで出世はしていないからね・・、それでも466万円は集まるね計算上は・・。

俺は甲子園に出場するのにどれほど費用が掛かるのか、考えたことはないけど大金だろうね。勝ち進んでいけば滞在費用は当然掛かるね、それも選手だけじゃない。学校の教職員・PTA関係者・応援団が居なけりゃ選手も頑張れない、・・ガランとした応援席じゃ選手が可哀想ですよ。
球場に近い学校なら試合のたびに出向けばいいけど、栃木県からその度に往復する訳にはいかない・・、頭が痛い関係者。

それにね文字通り南高校は市の南に在って、周りは清閑な田んぼや畑ばかりで企業などは無い処だから寄付も望めない。近くに小さな街があるので、そこに行って「寄付をお願いして廻った」と後で聞いたよ・・。

そこでふと考えたよ、昨年(H28年)の夏の大会で優勝した我が栃木県の名門校「作新学院」を・・。
創立は明治18年らしい、今から132年も前です。その卒業生の数たるや想像もつきません、しかも現在は幼稚園から始まり小学部・中学部・高校・短大・大学まで在る。
そしてその卒業生は政財界にひしめき合っている、・・この人たちが寄付に協力すれば莫大な金額が集まるのです、甲子園の出場なんて何日かかっても屁でもない!、すごいでしょ!

以前聞いたことがあるけど、作新学院が勝ち進んだのですぐに寄付を集めだした。集金は速やかに進んだが残念ながら決勝戦までは進めなかった。寄付の残金がすごかったらしい、・・「作新は勝ち進めば寄付で金が余るほど集まる」、と言う噂があった。まあ、‘げすの勘繰り’だろうけどあながち‘嘘’とも言い切れないね・・

残念だけど南高校は負けて、優勝は池田高校だった・・それでも一躍有名になったよ。

さて、・・この5日に長男Hは中学のオリエンテーションに行き、9日が入学式だった、付き添いは妻のC子が行った・・。

8日が長女Y子と次男Sの始業式で、それぞれ5年生と3年生になった。
私は広報部会長とPTAの会計を避けることができずに、引き続き勤めつことになった。やだなあ・・。

それじゃあ、またね・・。