これは私自身の動画です。最後のランディングのスピード感がいいねえ・・。同じ処でグルグル、ステイして上昇気流キャッチを狙うもダメ。ここを外れれば直ぐ降りてしまうので仕方ない(67歳直前のフライト・・最後かも・・。)

こんにちはー・・、さぶです。

当方、「梅雨入り」が発表されてから霧雨が8日の早朝に少し有ったきりです。「いいね」です・・、日本の文化は「米」に始まっているけど今は‘梅雨’はそれ程必要はないでしょう?。水の確保・保存能力が昔と大違いですから・・。
何時の季節でも、10日に一度30ミリも降ってくれるのが私の理想だね・・。

さあまた昔話です・・・S61年2月

5日の夕食の時だった、次男S(小2年)が「今度の土曜日(8日)に‘昔の遊び’をするから何か作って・・」と言う。
私は晩酌中・・、どうやら2学年の事業らしい。昔の遊びを父兄と共に作って、それを持ち寄って皆で遊ぼう・・と言う企画のようだった。
私はアルバイト仕事に出ているから日中はいない、・・夜にSと作れる‘昔の遊び’は?。有った、・・簡単に作れるのは「パー」である。

「パー」と言っても判らない人もいるでしょう、全国的には「メンコ」が共通のようです。私はメンコと言ったことは無いので、地方によってまちまちなのでしょう・・。
長方形と丸形があった。普通に「パー」と言えば長方形の方を指し、大きさも2種類あったのを記憶している。丸形の方は、別に「まるッパー」と呼んでいた。

作るのは簡単だった、厚紙(ボール紙)が有ればいい。一定の大きさに切った、4㎝×8㎝・・それを30枚ほど。「まるっパー」の方は大小3種類作ったよ・・、小は直径6㎝・中が8㎝・大が12㎝だった。
これは私がコンパスで円を描き、Sが自分で切り出した。それ程難しくはない・・。「まるっパー」は重ねて遊ぶことはないのでそれぞれ3枚も有れば良いだろう・・。「パー」に絵を描いたかどうかは記憶に残っていない・・。

さあこれからなんだよねえ・・、「パー」は簡単に作れたがやり方が出来ない。そこで使い方・やり方を教えたが中々ねえ・・。私が小2の時は夢中でやっていたなあ・・、周りも皆やってて出来ない子は居なかった、上手下手はあったけどね。

「パー」の遊び方は3つあった、・・一つは‘まる出し’と言って適当に地面に丸を書いて、相手のパーを弾きだせば勝ちでもらえる。もう一つは‘返し’で相手のパーをひっくり返えせば勝ちでもらえる。
もう一つ長方形のパーだけの遊びが有った、何と言ったか覚えていない。

この勝負が大勝負で真剣にやったねえ・・、誰かが「30枚出し!」と言えば参加する者が30枚を出す。4人参加すれば120枚だ、40枚に重ねた束が3つ、束数は自由に決める。それを地面に置き円を描いて囲む。そして1枚を抜き出しそれに決めて地面にこすって判るようにして、束の下から2番目に納める。それを円から弾き出した者が勝利者で120枚を得ることが出来る。

順番にパーを叩き付けて束を崩していく・・、決めてこすった「パー」が見えて来る。最後は段々相手をけん制してくる。力を出し過ぎて、円の淵まで弾いて次の人に「ちょん」と出されて総取りされてはかなわない・・。
こんな遊びを学校から帰ると、毎日暗くなるまでやっていたなあ、真剣勝負だよね。

Sにやり方を教えたが、「パー」の面白さは理解できないだろう。投げる技術をマスターしてからの、取ったり取られたりの勝負の面白さ・・。
取った時の嬉しさと取られたときの悔しさ・・、かけ事勝負の面白さだね。学校では教育上当然「やらないように・・」と緩く指導していたね・・だけど子供達には大流行でした。(私の頃)

19日・・、朝起きると大雪で積雪は22㎝、私はアルバイト仕事は休んだが妻のC子は迎えが来て出かけた。
「縫製作業」は納品が数日単位なので休めないんです、その点建設業は工期が年度末までだからそこそこ余裕が有る。条件の悪い日の作業は中止した方がいい、その分後で頑張ればいいからね・・。

さて・・、また広報部員を集めて「学校新聞」発行の作業が始まっていた。3学期末の発行は決まっていたが、一度経験しているので編集会議や作業はてきぱきと進んで、ゲラ刷りを印刷屋に頼んだのは28日だった・・。

それじゃあ、またね・・。