これは私自身の動画です。最後のランディングのスピード感がいいねえ・・。同じ処でグルグル、ステイして上昇気流キャッチを狙うもダメ。ここを外れれば直ぐ降りてしまうので仕方ない(67歳直前のフライト・・最後かも・・。)

こんにちはー・・、さぶです。

いよいよ6月に入りました、6月と言えば「雨の季節」ですね。確かに今朝は予報の通りに雨が降っている・・、そろそろ「梅雨」に向かっているのでしょう・・。

さて、前回のブログに「餅屋は餅屋」と言う話をしました、その道の‘プロ’以外は殆ど知らない・・と言う話しです。
それを書きながらまたまた昔の事を思い出していました、・・そうです、もう50年近く前の話しです、書いてみます・・

私は確か20歳の頃だったと思う・・、上野発の東北線下りに乗って私は宇都宮に向かっていた、当時は鈍行で2時間だったね。
隣の席に40代のおばさんが乗ってきた、・・今の私の年齢なら‘若いご婦人’だが20歳の私には‘おばさん’である。時間が長いので少しの会話が交わされた。

宇都宮の30㎞程手前に「石橋」と言う町が有り、そこを通過しているときに夫人は「あれは何ですか?」と聞いてきた。夏だったので農家の庭先一杯に白い簾のような物が干してあった。「ああ、あれは干瓢ですよ・・」と答えた。「へえ・・あれが干瓢ですかあ・・始めてみました、どう生るんですか?」と聞いてきた。
私はその`生る’と言う言葉に、冗談と悪戯心がムクムクと湧き上がってしまってついつい嘘を教える事を抑えることが出来なくなってしまった・・。

干瓢は栃木県の特産で、特に石橋近辺で生産されている。全国の生産の8~9割を占めているだろう。(こんな事は検索すれば正確な数値が出るだろうがあえて記憶を使います)
検索を使うと知識を覚える必要が無くなるし記憶も必要が無い。これじゃあ相手と話をしていても「ちょっと待って・・」と言ってスマホなどを検索することになる。・・これではその人の`人となり’が判らない。「頭は帽子の台じゃない!」と私は常に言っている。

・・だから夫人には「干瓢」の知識は皆無に等しい、私はこう教えた「干瓢と言うのは、干瓢と言う木があってそれに生るんですよ・・。今は時期ですから新芽の脇から伸びだすんです、タケノコと同じで1昼夜で70~80㎝延びます。」「へえ・・そうなんですか・・」
「それを朝明るくなると同時に収穫するんです、4時頃ですね。人によって少し違いますが長さは2M前後のようです。収穫した干瓢を直ぐに干して、その日に乾燥を済ませる必要があって朝が早いんです。乾燥に手間取ると黒い斑点のカビが出て商品の価値がなくなるそうですよ・・」「・・そうですかあ・・」

「詳しいわねえ・・農家なの?」と夫人は聞いたので「いえ、俺の高校の同級生が石橋の隣の上三川町の農家なので聞いたんですよ、夏休みは大変らしいですよ・・
夏の盛りでしょ、遠くで雷がゴロゴロ鳴りだしたり雲行が暗くなりだしたら忙しくなるらしいです、家族全員で待機だそうです」「なんで?・・」
「もし降られて濡れてしまえば黒い斑点のカビが出てしまうし、用心して取り込んでしまうと‘生乾き’になってもう一度干すことになる、この手間が大変なんだそうです。だから見計らってソレッと全員で夢中で作業になるそうです・・」
「大変なんですねえ・・」
「友達はそんな手伝いを夏休みいっぱいやらされて、それで少しは小遣いをもらったと言っていましたね」
「ふーん・・そうなんだ・・」

「その作業が大変なんで、最近ではビニールハウスに干す人も出てきたそうです・・。家の隣にハウスを建てられる人はいいけど、殆どの人が庭先に干しますから庭にハウスを建てるのは無理だと言っていましたね・・」
「それもそうだわね・・庭にビニールハウスがあったんじゃあねえ・・」夫人は応えた。

「干瓢って白いでしょ?あれは硫黄を使って漂白するらしいですよ・・、どうやるのかは知らないけれどそのままだと‘飴色’らしいです。そのままより漂泊して白くすれば商品価値が上がって、今ではほとんど漂白しているらしいですね・・。」
「ふーん・・そうなんですか・・」夫人は干瓢の知識はない。

「出来たものは市場へ持っていくの?」夫人は聞いた。
「違うんですね、取り扱っている業者がいてそこへ連絡して取りに来てもらうと言ってましたよ・・。それに出来たからといって直ぐには出さないそうです、保存が効きますから相場をみて出荷するそうです、ズッと持ち続けている人も多い・・と言ってました」

ここまで私は蘊蓄を聞かせてしまった・・、しかも他人の受け売り。もう「それは嘘です!」とは言えなくなっていた。でも嘘は`木に生る’というだけで他は全部ホントのことだったので黙っていた。何年か後には夫人も私のウソに気づく時が来るだろう・・、そのとき俺のことをどんなふうに思い出すのだろう・・知りたかったねえ・・。

私はこの‘嘘をついた’事にいささかの‘後ろめたさ’を感じていて、半世紀も過ぎようとしている今でも忘れられない記憶になっているのです。

それじゃあ、またね・・。