これは私自身の動画です。最後のランディングのスピード感がいいねえ・・。同じ処でグルグル、ステイして上昇気流キャッチを狙うもダメ。ここを外れれば直ぐ降りてしまうので仕方ない
(67歳直前のフライト・・最後かも・・。)

こんにちはー、さぶです・・。

秋の真っ盛り、「スポーツの秋」とも言うけど、もうこの歳になっては身体も思うようには動かない。
これまでH・G(ハンググライダー)で飛んできたけど、それほど体力を必要としないスポーツです・・だって風任せで飛んでるだけで、方向を変えるときに少しだけ腕に力を入れるだけだからね。それに元々身体に力が入っているようではダメなスポーツなんだよ・・。

ただね、気力は必要だと思う・・いざと言うときに、他のスポーツのように考える時間がない!、ヤバッ!と思った瞬間に体が反応して瞬時にコントロールする必要があるんだ・・そして空中でどんなアクシデントがあっても‘必ず無事に地上に降ろす!’この気力は大変なものだよ・・。例えスパイラルに陥ってノーコンになろうとも!、だから気は抜けないスポーツで常に緊張は必要だね。
まあ、何もなければ自転車で坂道を下って走っているようなものだから体力はいらないね。
67歳では4本のフライトだったが、68歳になってはまだ飛べていない、もう5か月が過ぎた・・もう無理かなあ・・?、全盛の時は年間91本飛んだ記録があるよ・・。

さあ、また昔話です・・・S46年8月

1日が日曜日なので私は家に戻っていた。
PM10時前に床に入ったら突然親友の平出が来た、遅い仕事の帰りのようである。
何も考えずにパッと起きて街に出かけた。なじみのスナック「噂」に行き、しばらくして仲間の岩城がきた。0時ころ出て岩城の案内で「ピノキオ」というスナックに入り、出たのは0時半で平出の家に泊まった。

翌1日の朝になり、平出に誘われてドライブに行くことになった。
メンバーは5人で、私・平出・その彼女・彼女の妹・妹のフィアンセ。
平出の彼女はJさんといい今の奥さんである。
妹さんはヨーロッパから帰り、カナダ人の彼氏を連れてきた。
彼女は21歳で、来月カナダに戻り彼と結婚の予定だという。私は彼女を知っていた、同じ中学校で2つ下だった・・顔に記憶がある。
名前はヨーコといった。
那須に行き、茶臼岳に登りファミリー牧場・りんどう湖へ行った。
りんどう湖の鯉が怖いほどすごかった・・餌をやるときの口を開けて集まってくる姿がオゾマシイ・・。

さて、・・と

8月に入ってすぐに、H・I夫人からKさんとの見合いの日が知らされていた。11日である。

11日・・約束の場所は市内のA精肉店だった。
ここはK家のご主人の弟さんと、ご主人の奥さんの妹さん夫婦で営んでいる精肉店であり、即ちH・I夫人の妹夫婦の家であった。
私は11時半に訪れた、相手方は5人であり私は1人だった。
まあ、5人に見てもらえばいろいろ見てもらえるだろう・・もらう方でしっかり見た方がいいからね・・。

Kさん夫婦とH・I夫人と我々当事者の5人で街中に出て昼食を済ませて、1時に二人だけで歩くことになった。
なにも予定はない、ボーリング場のレストランに入ってゆっくりと話した。殆ど俺がしゃべったのだろう、農業のこと・生活のこと・よもやま話・インドの話も出たよ・・。

私は一応、私の農業に対する考え・仕事に対する考えをはっきりと言っておいた。従って私の考えと、先方本人・両親の考えが合わなければこれはダメだろう・・ということも言っておいた。

PM4時に精肉店に戻った。戻る途中私は彼女に、「縁というのは異なもので、縁があれば自然にそうなるし、無ければ頑張ってもダメなものだから見合いをしたことを深く考える事はないよ・・」と言った。
精肉店に戻りビールなどをご馳走になって1時間ほどくつろいだ。
H・I夫人が私を呼んで、「・・どう?」と聞くので、「まだ会って3~4時間だよ・・何もわからないよ、すぐ返事は無理だろう・・これから何回か会ってそれからだね・・」と応えた。

私はH・I夫人に一つ言っておいた、「ただね、何回か会ったり行ったりしていると、もう決まったと考えがちだけど、それは違うからね・・決める為に会うんだからね!。後で、「何を今さら・・」という考えになっては困るよ」と。
本人21歳長女(名前はC子さん)・次女19歳・3女18歳・4女13歳・父親45歳・母親42歳・祖父71歳・祖母?歳という。

私も一生農業をやってみよう!畑違いが一人くらい出てもいいだろう・・いずれにしても不真面目に考えることは出来ない!、真面目に冷静に考えよう・・。

20日・・K夫婦とH・I夫人の3人が私の留守の間に家に訪れた、「ぜひ遊びに来てくれ・・」と言っていたそうで、母は、「家に戻らないので休みがわからない・・」と返事をしたそうだ。
それに、「両親も一緒に来てくれ・・」と言ったらしい。しかし私も父もそれは考えてはいなかった、親には完全に決まってから行ってもらおうと考えていたし、父も同じだった。
それに私は本人をOKとみたうえで、家に訪れ家族に会おうと思っている、そうじゃないと失礼だし誤解を招くことになりかねないからね・・。

29日(日)・・PM3時、K家を訪ねた。本人は薬局に勤めていて戻ったのは6時10分だった。家族とも会って話したし家庭も見た、明るい家だった。
これまでのことを考えて一度は訪れるのが礼儀だろうと思い訪問した、7時過ぎてK家を辞した。
本人とはほとんど話す時間はなかったが、帰るとき外で10分ほど話した。

そんな8月だった・・。

それじゃあ、またね・・。