これは私自身の動画です。最後のランディングのスピード感がいいねえ・・。同じ処でグルグル、ステイして上昇気流キャッチを狙うもダメ。ここを外れれば直ぐ降りてしまうので仕方ない
(67歳直前のフライト・・最後かも・・。)

こんにちはー、さぶです・・。

イヤイヤー、・・朝晩はめっきり寒くなりましたね。
秋が駆け足でやってきました、後ろを見ると冬が追いかけて来ています・・もうすぐ息が白くなり霜も降りてくる・・。

さあ、また昔話です・・・S46年4月

4月になり桜の季節がやってきた。
中山作業班が花見の旅行を企画して、「是非一緒に行ってくれ・・」と中山親方から私に申し入れがあった。どうしよう?
予定もないし、皆と親しくなるのも仕事の上では良いことなので、「いいよ・・」と返事をした。「朝が早いから前の晩は家に泊まってくれ・・」と親方は言ったがそれはやめたよ・・。

4日(日)の朝6時前に親方の家に行くと、既にバスは来ていて皆も集まっていた。
出発したのは6時15分、目的地は「常磐ハワイアンセンター」だった。
ここは常磐炭鉱が閉鎖になり、その跡地にできた大型の娯楽センターであり、当時は大はやりだった。バスは大型車で30名近くが参加したが、家族ツアーだから仕事に関係のない人もいた。

センターには9時半ごろ着いた、皆アロハシャツに着かえてそれぞれ適当に自由行動である。
施設の中は暑い・・そうですハワイムードを出している、プールもいろいろ種類があったしイベントも各種行われていた。若者や子供向けに出来ているが、年配者も多かったよ・・。
やっぱり当時は娯楽施設が少ないから遠くから集まってくる、ズラリと並んでいる大型バスのナンバーを見れば一目瞭然だった・・。

さて、1日遊んで戻ってきたのはPM7時ころで既に暗くなっていた。
主だった人が親方の家に残り一杯始まった、私も残った。
いい加減のところで皆は引き上げていった、近辺の人がほとんどである。
私も帰ろうとしたら、「酔っているから泊まっていきなよ・・」と親方が言うのでその言葉に甘えることにした。
小3の男子・中1の女子・中3の女子の3人の子供がいる。3人と話したりゲームなどで遊んだ。この小3の男子と中1の女子の二人とは前から知っている。

・・というのも、1年ほど前の日曜日に親方が二人を現場に連れてきたのである。子供が1日中現場にいたって退屈するばかりで面白くも何ともない、現場は石橋地区であり日産社宅の宅地造成だった。
現場に私がついていなくても仕事は心配ないので、「二人を小山遊園地に連れていくから・・」と親方に言って出かけて1日遊んできた。だから二人とは中良しである。
男の子はヒロシ君といい女の子はカズエさん?だったと思う。
ヒロシ君と一緒に風呂に入った、風呂で話を聞いたら音楽の時間にズッペ作曲の「軽騎兵序曲」を勉強しているというので驚いた、小3だよ・・。

5日(月)・起きたのは7時半、現場は忙しくないのでゆっくりだ。
おじいさんと1時間ばかり話して、朝食を頂いてお礼を言って出たのは8時半だった。
外は静かで天気も良く気持ちよかった。周りは田と畑ばかり、太陽が輝き、小鳥がさえずっている、土手には花・・長閑だあ・・。
宇都宮には戻りたくないと思った、こんなところで一生のんびり生活したい・・。
再度、私は、「農業をやろう!」と決意した。
この朝の風景は、しばらく私の頭から離れなかったよ・・。

会社の花見も15日、仕事が終わってから行われた。これは新入社員の歓迎会も兼ねていて、場所は料亭「波」だった。
9時半に終わりいったん会社に戻った、寮に居る者も多いし車を会社に置いている者もいる。私も日産の宿舎に戻りたい。
すると騒ぎが始まった、2つ先輩のO原さんと3つ先輩のI井さんがケンカを始めてしまった。私は冷めた目で見ていたよ・・理由はくだらない事だ、ケンカはいい、すっきりしたケンカをやってくれ!。
二人とも蹴ったりぶったり威勢のいいところを見せたねえ・・うん。
だが二人して会社の玄関入り口にぶつかり、ガラスを割ってしまいI井さんは腕を切ってしまった。
そこそこ深い傷なのでA野先輩が医者に運んで行った。

翌朝、気が付いたら私の作業衣に昨夜のケンカのI井さんの血がべったりと派手に付いていた、・・やだねえケンカは・・。

21日・舗装班の作業メンバーのOさんが路盤の成形中にグレーダーに弾かれて足を怪我してしまった。私はすぐに病院に運んだが入院ということになった。
後のことは会社の事務の方ですべて処理してくれた、手続きなど私にはわからない・・全てうまく済んだ。
そんな春のはじめだったよ・・。

それじゃあ、またね・・。