昨日は母のことを思って眠れなかった。
私は母の思い描いた娘には育たなかった。
やりたいことはすべて親に反対されてきた。
唯一自動車学校と着付け教室とクッキングスクールだけは許された。
しかし、自動車学校は私には向いていなかった。
講義はひたすら眠いのだ。
実地もいきなり教習所で30キロを出すので怖かった。
本当に免許が欲しくて習いに来たわけではなかったのだ。
いくつかい両親に言った習い事を反対され、家の側にあった教習所だけが許されたのだ。
常に眠いので、車の運転は向いていないとすぐにやめた。
着付け教室は大手の教室に通ったので、あれこれ道具を買わされて、それがないと結べないという。
いきなり手結びは教えないのだ。
しまいに帯の展示会や着物の展示会にもいかなくてはならないので、3か月で辞めた。
クッキングスクールは週に1回、2時間の授業だったが、同じグループの人にある時、杏仁豆腐の切り方を指摘され、嫌な思いをした。
テキストには切り方までは書いていなかった。
グループで何かをするのは私には向いていないのだと思う。
とにかく1年間通って3000円最後に払えば修了書をくれるというので、1年間は通った。
やりたいことは親に反対されて育った。
本来結婚は親元を離れる手段の一つだった。
自由を得るための方法だった。
ところが結婚して10年目に70歳で働けなくなった母を引き取り、同居するのだ。
自由を勝ち取ったと思った私はまた元の木阿弥になるのだ。
出かけるのにいちいち母に行き先を告げて、帰る時間も告げるのだ。
芸能人の追っかけはもともと母は嫌がっていた。
嘘をついて出かかる。
ばれるのだ。
クミコさんの大阪のコンサートも関西旅行と噓をついた。
夜行バスで行き、ビジネスホテルに1泊して夜行バスで帰ってきた。
その後、石巻に3回行ったのも観光と称した。
1回は日帰りだった。
シャンソニエに行く。
ライブに行く。
コンサートに行く。
母は最初の島倉千代子さんとクミコさんまでは認識していた。
私が60歳になり、母も認知症が出始めてからは好きになった浪曲の師匠のことはわからなかった。
芸能人の追っかけにお金を使うことを嫌っていた。
私は40代の終わりに更年期から別の病気になったのだ。
その時たまたまテレビで見たクミコさんに「この人だわ!」と、歌を聞くうちに元気になったのだ。
(この話は続きます)
