2015.4.24
そろそろ千代子さんのことを書こうと思います。
私が初めて千代子さんを見たのは吉祥寺のおじさんの家に居候していた時だと思います。
白黒テレビで見た千代子さんはきれいな声で歌うきれいなお姉さんでした。
それから事情があって家族でおじさんの家を出て世田谷のアパートに住みました。父は白黒のテレビを買って来ました。その白黒のテレビで再び千代子さんを見ました。それからと言うものたびたびテレビで千代子さんを見ました。私はすっかりファンになってしまったのです。小学校に上がりました。学校に行っても頭の中はいつも千代子さんのことで一杯でした。授業などはまともに聴いてはいません。歌の上手いお姉さんはいつも私の心にいたのです。
いつしか私はひそかな夢を描くようになって、16歳でコロムビアレコードから歌手デビューすることを夢見ていました。小学校の5年生の時です。父は千代子さんの国際劇場で行われている15周年記念のコンサートのチケットを買って来ました。忘れもしない前から20列目の23番の席でした。初めて見る生の千代子さんです。私の第一印象は千代子さんが童の姿で登場してきたとに「わー!足太いんだわ。大根!」でした。丈の短い着物から太い脚が見えたのです。
父は帰りにプロマイドを買ってくれました。私はそのプロマイドを大事にしていました。お宝でした。
歌手になる夢はあきらめる。
あるとき鏡を見ました。自分の顔です。まじまじと見るとなんとブスなんでしょう?「ああ、こりゃあ歌手はダメだ!」それでもどこかで歌が歌いたい。かくなる夢はバスガイドになることでした。これなら歌が歌えると…。
ところがです。あるとき友達の家で私の声をテープに吹き込んだのです。その声を聴いて愕然としたのです。「音痴!」自分がひどい音痴であることが分かったのです。そこで私の歌を歌うと言う夢はすべて絶たれたのです。
夢をなくした私は中学生になっていました。相変わらず勉強は出来ず、おバカ街道まっしぐらの私です。朝から晩まで千代子さんのことで一杯でした。高校に進学してお小遣いを少しずつ貯めては千代子さんの追っかけをするようになりました。初めて行ったのは国際劇場でした。お金がないので座ったのは一番端の自由席でした。初めて握手をしてもらいました。冷たい手でした。私はその手を洗わずに家まで帰ったことを思い出します。ラジオの公開放送にも行きました。初めて一緒に写真を撮ってもらい、サインももらいました。それは大事な宝物になりました。
そんな私もいよいよ高校3年、そろそろ進路を決めなければと言うときになりました。私の希望は和裁の専門学校に行くことでした。千代子さんのために1枚手作りで着物を縫ってあげたかったのです。ところが両親の反対に合い、泣く泣く就職をしました。
就職した先は駅ビルやデパートにお店がある会社です。私はお給料の中から生活費を家に入れ貯金もして残りの小遣いで休日は親の目を盗んで千代子さんの追っかけをしました。
小遣いが少ないから遠くまでの追っかけは出来ません。見つかると母に怒られるのでこっそり嘘をついて出かけますが、母にはバレバレでした。何せハンドバックの中にはチケッの半券があるのです。母はこっそり娘のバックを見ていたのです。仕事帰りにコマ劇場の出待ちもしました。母には「仕事が残業」と言って電話をしました。が、すべてはバレバレでした。
そんなこんなで職を転々としながらも小遣いで休日は千代子さんの追っかけをしました。千代子さんの歌は私の心の支えだったのです。
*続きはまたあとで!