いつでも良いものなのかもしれない
ヒールのゴムが磨り減ったパンプスでカツカツと硬い音を立てながら、いつもの修理屋さんへと急いだ。
日曜日、デートの前だった。
大人の男性の隣でそんな音を立てて歩くのがどうしても恥ずかしくて、待ち合わせの時間をずらしてもらってまで修理屋さんへ立ち寄ったのだ。
急なお願いにも関わらず、いつものおじさんは笑顔で「大丈夫。すぐ直してあげるからね」と言い、器械のある小部屋へと入って行く。
ほんの少しだけ待ってる間のことだった。
私にしてみれば、結構な衝撃を受ける小さな張り紙を見つける。
『2月いっぱいで閉店することとなりました。ありがとうございました』
このお店が、無くなってしまうことを知る。
上京してからずっとお世話になったお店。
私の靴達はみんな、笑顔の素敵なおじさんに直してもらったものばかりだ。
小部屋から出て来たおじさんに、「無くなっちゃうんですか!?」と飛びつくように尋ねると、
「そうねー、このスーパー自体がいずれ無くなるみたいなんだよね。それもあって。」と言っていた。
「....困ります。寂しいな。上京してからずっとおじさんに直してもらってて、補色までキレイにしてもらって。。。」と言葉に詰まると「覚えてるよ」と言ってくれた。毎月来ていた訳じゃないけど、ちゃんと覚えていてくれた事が嬉しかった。
感謝の気持ちを伝えて頭を下げたのだが、二月いっぱいまでいるのならもう一度ちゃんと来ようとその時は思ったのだ。
そしてその後のデートの時も、相手におじさんの話をしていた。
でも、それがもうすでに、二月の半ばだったということ。
相変わらずの日々だった。20時、21時前に仕事を終える日はきまってお稽古ごと。
身体を壊し、土曜日は病院。痛み止めで誤魔化しながら、今日も木曜日の検査を待っていた。
そんな夕方。隣のデスクの子が靴の修理屋さんに用事がある話をしていた。
どうしてそこで気付かなかったんだろう。
そう思いながら息を切らして駅の中を駆け抜けたのは、まだ少し先の話。
19時半。偶然にみんなで今日はもう上がりましょうとの流れになり、ぼちぼちと解散。
お腹が空いて入ったのは職場の向かいの中華料理屋さん。
サラリーマンで溢れる店内で一人、ラーメンを食べた後だ。
気付くのはそのタイミングでだった。
今日は、二月の終わり。
慌ててお会計を済ます。花屋さんなんてこの辺無いよなと足早に駅に向かい、お菓子屋さんでお菓子を買う。電車に乗る。家の最寄りの駅に着く。
それからは走った。人目を気にせず走った。
何で、何で自分はこうなんだろう。
何でせめてあの時、気付かなかったんだろう。
まだ前の職場で嫌な事があった仕事帰りの時も、ウキウキしながら向かうデートの前も、つま先を出せる季節に備えて夏色のサンダルを箱から出した時も、
ずっと直してもらってきた。
何より忘れられないのが、落ち込んだり嫌な気持ちの後に寄った時は、
いつも笑顔に癒されて、心も治してもらったことだ。
そんな思い出が頭を駆け巡り、息を上げながら走る。信号は全部青。時刻は20時過ぎた頃。まだ、間に合うかもしれない。片付けでまだ居るかもしれない。
スーパーの一角。お店の電気が見えた時の喜びは束の間、
おじさんはもう居なかった。
同じくお世話になっている隣のお洋服のお直し屋さんが、
「19時頃までは居たのよ。あらー、ご挨拶にいらしたの。。。いつかまたここに寄る時もあるかもしれないけど。。。」
甘かった。間に合わなかった。
今の生活でもう会える確率は、極めて低い。
息が上がり、痛む胸を押さえながらトボトボと帰った。
いつも私は大げさなんだろうけど、
何だか泣きたくなった。
この前も同じ事を思ったのだ。
どうして自分は、気が利かない、人間として足りないんだろうと。
ずっとずっとお世話になってる方とバレンタイン近くにご飯をご馳走になった帰り道、
何故こんな絶好のイベントで、お礼一つ出来ない女なんだろうと。
どれだけ助けられて、どれだけご馳走になってきて、どれだけ遊んでもらっても、
私は頭を下げるだけで、チョコレート一つ用意することに気付かない女だ。
もう、バカなんじゃないか。本当に。
また大切な時間を逃してしまった。
おじさんに伝えたかったのは、靴を直して貰ったお礼より、
おじさんのお仕事に救われた人間がいたこと。
その「ありがとうございます」だ。
おじさんが喜んでくれるかは別として、お礼を伝えたかった。
そして、今思う。
最後の日じゃない、誕生日じゃない、クリスマスやバレンタインじゃない、
「大事なのは気持ちだよ」の本当の意味。
勿論、節目節目のイベントやタイミングも大事だと思う。でも気持ちの方が、先だ。
もう、良いと思う。イベントじゃなくて。
明日でも、明後日でも良い。
会える時に、気持ちがあれば伝えても良いんじゃないかって。
相手にしたら何で今?ってタイミングでも、
自分がしたい時に出来るとは、限らない。
今度大切な人達に久々に会える時はお礼をしよう。
でも幸せなことに破産しそうなくらい沢山いるから、自分の範囲内でしていこう。
ちょっとした奇跡を祈って、おじさんが居ないかスーパーにも行ける時は行ってみよう。
この気持ちを無駄にしないで生かそう。
過ぎていく毎日や親切な人達がいる事が、当たり前ではないと改めて知った二月も終わる。
三月、私はどれだけの時間を大切に出来るだろう。
しっかりしなきゃ、だ。