虎馬 | green

虎馬

あきおみと付き合っていた頃。

あきおみはイタリアの大学院にすすみたくて、長期休みを作ってはちょこちょこイタリアに行っていた。

だから俺も高校2年の修学旅行で行った韓国以来の海外はイタリアになった。
2週間の短期だったけど、一応語学留学として1人で行ったし

シェアハウスには日本語話せる人は誰もいなかったのに、ようやったと思うよ、俺。
パワーオブラブだったね、いやはや

だけど、シェアハウスで知り合ったジュデとは今でも連絡を取り合うし、オンラインでゲームしたり、相変わらず仲良いよ。

イタリアに行きたがっていたあきと、嫌がっていた俺。
結婚してポンと着いて行って生活まるごと養ってくれたとしても、友達もいない異国の地で、異性のカップルだって上手くいくかなんて全くわからないのに、

結婚も出来ないからビザは自分でどうにかしなきゃならないし、イタリアでやりたいことなんてなかったし、

英語よりはるかに、未知と言ってもいいほどのイタリア語や、その人々の会話のテンションにすら腰が引けていた俺がイタリアに行く理由はあきおみだけだった。

何度も大喧嘩して3年かかって行くと決めて、3つのエージェントから絞った語学学校への入学手続きもした矢先の、入院だった。

あきは入学を延期したし、俺の語学学校の返金手続き、日本でかかる入院費や難病指定への申請も親父と一緒になって、やってくれた。

イタリアは目の前なのに、毎日病院に来てくれて、俺の前じゃイタリアの話も一切しなかったし、仕事を探して、サラリーマンを始めた。

入学延期はまだ猶予はいくらでもあるから、と5ヶ月の退院後、階段も登れないくらい筋肉が衰退した俺に、貴重な自分の時間を尽くしてくれたと思う。

筋力体力が戻っても医者からはなかなか仕事復帰へのOKは出ないし、やる事と言えば家事だけ。

あきは、関節が痛むからと、プラスチック製の食器を買って来てくれたりね。

すげー覚えているのが、あきおみが仕事から帰宅して作っておいた夕飯を、あたためようとレンジに運んだら、俺、手に力が入らなかったったんだろうね。

床に皿ごと煮魚がベチャ。

あきは笑いながら、だからおとなしくしとけって言ったろってそれを拾ってくれて、

俺はいたたまれないような、恥ずかしいような気持ちでご飯をよそって、他のメインじゃないおかずのラップを剥がしていて、

一尾の煮魚を2人で食べながら、落ちた方は洗ってほぐして猫にあげてて、

あきが、さらっと、俺がイタリア行くことはもうないからって言ってきた。

んで、やっぱり足りないからお茶漬けにするわって、んなことを言って来た。



それから俺も仕事復帰したり、生活は落ち着いて行ったんだけど、まあご存知の通り別れたわけで。

あきおみは言った通り、イタリアの大学院には行かず、ニューヨークで起業した。
あきは中学、高校それぞれカナダ、ニュージーに留学していて、カナダの高校時代からの友人とニューヨークで仕事を始めた

俺も別れる前に2回ニューヨークに行った。
飛行機の気圧の変化と、慣れない土地で体調崩して悲惨だったけど



イタリア行きを辞めたのはお前のせいじゃない、ただ入院をきっかけに考える時間が出来て、考えた結論で、この結論がまた変わるかも知れない、と。
そう言っていたあきだけど、今もニューヨークにいる。

俺は今でも、イタリア行きがなくなったのは俺の入院のせいだし、
イタリアを辞めたのも、入学辞退したのも俺との将来を考えたからだと思うし、
別れた後も軌道修正しないのも、あきのあの頑固さゆえで、結局俺の発病が全て狂わせたんだな、と思う。

随分悲観的に書いているけど、自分を責めている、とかじゃなくて、タイミング的に実際そうだった。

お互いの仕事が落ち着いた後、別れたいと言い出すなんて、俺もひでーよな、と自虐的に思ったりもするけど。

まあ、ありきたりな言い方だけど、あきはね、俺の青春でしたよ。
ほんとうに




たまに過去を猛烈に思い出す。

突発的にブログ消したりもしたから覚えてる人もいるか分からないけど、こうやって時々自分におさらいするように思い出を年表順に辿ったりするの。

その中でも入院生活。

入院中はほとんど更新しなかったこのブログだけど、入院中は本当しんどかった。
特に後半ね

前半はお気楽にやってたけど、入院生活2ヶ月を過ぎた頃からは、ストレスを形として感じるようになったの。

腸炎になったら点滴のみで絶食していたんだけど、吐き気がして吐くの。
1時間くらい
飲み物は好きに飲めたから水分は出るけど、もちろんそれにも限りがあって、腸なのか胃なのかが痙攣してきて、ナースステーションで寝た夜が何度もある。
看護師同士の耳を塞ぎたくなるような会話を聞きながら

入院中に一度転院もした。

転院した先で、1人の医者がどうしても好きになれなかった。

言動全てがカンに触る。
顔も見たくない。
それくらいに嫌いだった。

俺は1日も早く退院したかった。

退院日が決まっていたのに、彼が半日かかる、医師不在では出来ない点滴投与のスケジュールを間違えて、退院が伸びた時も、

彼は笑いながら別に3日くらいいいじゃん!と軽く言った。

だから、それなら納得出来ないと言った。

俺は、ただ、謝ってくれさえすればよかったんだも思う。
ごめん、こっちのミスでその日は点滴出来ないんだって。そう言ってくれさえすればよかった
なのに、”3日くらい”。
5ヶ月入院してる俺には限界だった。

納得出来ないって言った俺に彼は、ならもうこの病院にはいられないよ?ここにはここの治療方針があるからねって笑いながら言う。

そこでブチッとなった。

俺は転院時のアンケートで、早く退院することが一番の希望と書いたし、不安なことはありますか?という欄でもそのことに触れ、何度も口頭でも訴えて来た。
仕事で毎日病院に来ているあんたと違って俺は入院してる患者なんだ、1日でもいいから早く帰りたいんだ、と言った。
これよりはるかに強い口調で、他の患者やその見舞客がいる前で

ついでに、退院後、しばらくはここに通わなきゃならないだろうけどあんたなら来ない、他の医者に変えて欲しい、俺はお前に診てもらってるわけじゃない、選んだわけじゃない、お前を医者だと思わない、ていうか主治医はお前じゃないだろ、と言った。

主治医のお偉い先生はたまにしか病院に来なくて
そいつは毎日来てる担当医だったのね

その後の3日は最悪ね。

自己嫌悪との、戦い。
リアルに枕に顔をうずめて頭を抱えた

俺が悪かったのか?俺がわがままだったのか?
みんなは、他の患者は我慢してるのか?そもそもこんな不満抱えないのか?
って、もうガーッて。

共感してくれる患者もいた。
あの医者は横柄よね、とティッシュに包んだおせんべいをお裾分けしてくれたおばあちゃんもいた。

けど俺の感情はガサガサしたまま。
あ、もちろんおせんべいは食べましたが

大勢の前で罵倒したことを謝るべきか、ずっと悩んだ。

結局、退院する日。
あれほど悩んだのに担当医であったはずのその医者は顔すら出さなかった。
拍子抜けね

良くしてくれた看護師の女の子が、俺をかばうようなことを言ってくれたのを覚えてる。

退院後、外来で会っても挨拶すら返して来なかった。
ケツの穴がちいせえ野郎だぜ、けっ



今は毎月の外来は、病気が発覚した時に行った小さなおじいちゃん先生がやってる個人クリニックに行ってるし、そこでは出来ない大きな検査も別の病院に行っている。

あのくそみたいな病院とは早々におさらばした。


けどね、今でもその、医者のこと思い出すの。
思い出して、なんだが苦しくなるの。

あいつがまだ医者やってんのかよって気持ちと
俺が間違っていたのかな、って気持ちと。

よく分からないけど頭から離れない日がある。

5ヶ月も入院していたんだ。
色々見たの。
親しくなった患者の死や、看護師のいじめみたいなのとか、不仲な家族の言い争いから、患者の家族が医者に札が入った封筒を渡すのだって何度も見た。

けど自分の病気の予後、あきのと将来、もう本当どうにかなりそうな、あの閉鎖された入院生活で、一番思い出すのはあの男のことなんだ。

本当に本当に本当に嫌いだったんだと思う。
まあ、あの病院自体やだったんだけどね

けど他の患者から聞いた話では彼の母親はリウマチらしい。
だから彼は膠原病科の医者になったって。

いい話じゃん。
それで医者になるなんて立派だと思う。

だけど、それさえ素直に信じられず、その医者を貶す言葉ばかりが頭をグルグルする日が未だにあるの。
数ヶ月に一度だけど

今だって書き始めたらどんどん思い出して、あいつの暴言をリストアップして、名指ししてやりたいくらい。
いや、これは冗談ね



それをネイトになにげなく話したの。

こんなどろどろしたこと。
俺はあいつが医師免許剥奪されればいいとさえ思うもん

万が一あの病院の目の前で、ダンプに轢かれ内臓が飛び出してもあの病院には連れてかれたくない。

そんなことを冗談ぽく、ネイトになにげなく話したの。
今まで溜め込んで来たこの恨みつらみ?みたいなもん。

ネイトは、茶化しながら話す俺とは対照的に、すげー真剣に聞いてくれた。

聴き終わった後、酷いトラウマを持ってるんだね、とても傷付いたんだね、と頭を撫でてくれた。

俺はポカーン。

そんなに優しくされるには気恥ずかしいような、トラウマというには大袈裟なような。

そんな気分。

ネイトはよく言う。
何かに悩んだら真剣にその物事に向き合うべきだ。
カウンセリングを受けたっていいし、真剣に考えて、受け止めなきゃだめだ、と。

それはありきたりなようで、しているようで、本当は今まで出来ていなかったんだと気付く。

文化の違いなのかな。
もちろん国には括れないけどね、ネイトはすごく自分を大切にするの

自分はどうしたいのかをちゃんと考える。

そして俺にもそうして欲しがるし、そうさせる存在で在ってくれる。

どんな小さなことでも夢を僕に教えてって言う。
スポーツカーに乗りたい、拳より分厚いステーキが食べたい、エリッククラプトンに会いたい

どんなことでもいいから夢を教えてって。

目標と方針を持って、生きていこうって。
 僕はそれを叶えるし、支えるよって

文字にすると本当、あほみたいに大袈裟なんだけど、ネイトはそれを当たり前なことのように言うんだ。

だから俺はね、そうなれる気分になるの。

5年くらい、抱え込んでいたあの医者への感情も、ネイトに話したら今は笑いのネタに出来る。

トラウマって、誰にでもあって、なかなか向き合えないんだよね。
トラウマだと認識しないから、本人が。

消したい過去、忘れたい出来事として捉えるからなおさらもがいて絡まるの、蜘蛛の巣みたい。

悩みはさ、それなりに尽きないし、時々不安になるんだけど、ネイトはね、まじでスーパーマンだよ。
本当に。

ネイトといるといつも答えが出る。

あの影のキャンディみたいに、ネイトはスペシャルなものを気付かせてくれるんだよ。

あきも本当はそうだったんだ。なのにね、俺がそれに気付けなかった
あとそもそもあき無口だし分かりずらいし、タイミングもね



俺ね、ネイトと付き合って2年経って、自問自答するたびに、幸せだと思うの。

それは色々な、様々な角度からの解釈と答えを見つけたからだと思う。


毎日見るこのマグのhappy day
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のろけです。
そしてトラウマ?だったのかは分からないけど、あのくそ医者がくそ医者のままでも、せめて親孝行息子であればいいと思う。

気分爽快。森高千里

しーゆー
良い週末を
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