明日11月25日は故三島由紀夫氏の41回目の命日です。ご冥福をお祈りする意味で、毎年この時期に関連

記事を書かせて頂いて居ります。彼の年譜を見ていて初めて気付いた事があります。大正14年1月14日生


まれ、本名 平岡公武(ひらおかきみたけ) 。当方の母親の生年月日大正14年1月9日、名前00公江(きみえ)と恐ろしく一致していました(どうでも良いことですが)。大正は14年で終わっているので、この年の生まれ


の人は昭和年号と年齢が一致します。ご存知の方の方が圧倒的に多いと思いますが、年譜を振り返ると彼の

才能に改めて感心させられます。以下 昭和以降の 三島由紀夫 の足跡です。年号 才、省略


12年 12歳 4月、学習院中等科に進学、文芸部に入部

13年 13歳 処女作 座禅物語 酢模 を輔仁会雑誌に発表

15年 15歳 平岡青城の筆名で俳句、詩歌を投稿 後に15歳詩集としてまとめられる

16年 16歳 国文学の師、清水文雄の推薦で【花盛りの森】を文芸文化に連載、このときより始めて

     三島由紀夫のペンネームを使用。

17年    学習院中等科を2番で卒業、

19年    学習院高等科を首席で卒業、陛下より銀時計拝受する。東京大学法学部に入学、処女短編集

       【花盛りの森】を刊行

20年   兵役に合格も、入隊検査の際 軍医の誤診で即日帰郷。【エスガイの森】を文芸に発表、【岬にて

      の物語】を執筆中に終戦を迎える

21年   川端康成の推薦で、短編【煙草】を発表、本格的に文壇に登場する。太宰治と出会う。

22年  東大法科を卒業、大蔵省銀行局に勤務

24年   長編【仮面の告白】を刊行

26年   評論集【狩と獲物】を刊行、北米、南米、欧州旅行に出発27年に帰国

27年   【鉢の木会】に参加

28年   三島由紀夫作品集を刊行

29年  長編【潮騒】を新潮社より刊行、第一回新潮社文学賞を受賞

30年  ボディビルを始める。 【白蟻の巣】で第二回岸田演劇賞を受賞

31年  【金閣寺】を新潮に連載、英訳版潮騒がクノップ社より刊行、多くの作品が翻訳出版される

32年  【金閣寺】で第8回読売文学賞を受賞

33年  画家杉山氏の長女と結婚、大岡昇平らと【声】を創刊

34年  剣道の練習を始める。 長女誕生

35年  大映映画【からっ風野郎】に俳優として出演、主題歌を自ら歌う。

37年  【十日の菊】で第十三回読売文学賞を受賞。長男誕生

38年  自らモデルとなった細江英公写真集【薔薇刑】が刊行

39年  【絹と明察】を発表、第6回毎日芸術賞を受賞

40年  自作自演の映画【憂国】を制作。【春の雪】を新潮に連載開始

41年  【サド公爵夫人】で第12回芸術祭際賞演劇部門受賞。芥川賞の選考委員となる

42年  自衛隊に体験入門、空手の練習を始める

43年  剣道5段に昇進、【盾の会】を正式に結成

44年  東京大学全学共闘会議の学生と討論。映画【人斬り】に出演

45年  【天人五衰】を新潮に」連載、最終回原稿を新潮社に渡した後、

      自衛隊市ヶ谷駐屯地にて自決


  ご冥福を心より申し上げます。