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ワタクシも持っております本

『シリウス・プレアデス・ムーの流れ
龍蛇族直系の日本人よ!
その超潜在パワーのすべてを解き放て』

(超☆わくわく) 単行本 – 2011/5/2
 浅川 嘉富 (著)

よりの抜粋です。


エエエ???
Σ(Д゚;/)/???
な衝撃的なお話ですよね

初めて読んだときは。



古代の天皇は
人間ではなかったのか?!

ちょっと
常識からは
ぶっ飛んだお話ですが~





○応神(おうじん)天皇(15代、在位AD270年~)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」という丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番(つが)えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最期まで抜け落ちることはありませんでした。

・第2章 神話に見る「龍と人類の混血」  神武天皇も龍のお姿をしていた!

 (前略)

また、出雲の地で大国主神の家系を継いできたという富氏(とようじ)一族の伝承によると、彼ら出雲族には「龍蛇族」の末裔としての自覚があるという。これもまた、龍と人間の混血を示すものだといえるだろう。

驚くことに、古代中国の「宇宙創生論」には、昔は龍と人間は仲良く平和に暮らしており、種族を超えて結婚し、交配していたことが記されている。龍が人間と一緒に暮らすなどということがあるだろうか? と、疑問に思われる方もおられることと思うが、地上界で龍が人間と生活を共にするときは、人間形生命体に変身しているという点を忘れないでおいてほしい。

彼らは高次元の生命体であるがゆえに、容姿やその大きさを自由自在に変えられる。ゆえに龍の姿のままでいるわけではなく、3次元の地球で活躍しようとするときには、人間形生命体に変身することになるのである。陸地で動き回るのにはその方が都合がよいのであろう。

ただ、豊玉姫がお産の際にその姿を龍もしくはワニに変えたように、本来の姿に戻らねばならないときがあるので、人間はそれを垣間見て、その実体を知り驚くことになるのである。

以上の点から、私は太古において龍と人類の混血が行われ、それが神話として記録されたものが「山幸彦と豊玉姫の龍宮神話」ではないかと考えている。

この「龍」という存在については「龍神」と呼んでもいいし、「ドラゴン」と呼んでもいいが、本書では「龍蛇族」と呼ぶことにしたい。

・神武天皇の驚くべき容姿の意味

龍蛇族とはどういう存在か。私はそれを「龍神系宇宙人」だと考えるが、それについては次章で詳しく述べることにして、ここでは山幸彦と豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)の子である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)以降の系譜について説明を続けよう。

八尋和邇(やしろわに)としての姿を見られたことの恥ずかしさのために海底の綿津見神(わだつみ)の宮へ帰ってしまった豊玉毘売命は、妹の玉依毘売命(タマヨリビメノミコト)(通称・玉依姫(たまよりひめ))を陸に送り息子の養育をさせる。

その後、成長した鵜葺草葺不合命は、叔母にあたる玉依毘売命と結婚して子を授かることになり、そのうちの一人が神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、すなわち後の初代神武天皇であった。

・さて、ここで考えてみたいのが神武天皇の血統である。

天孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)の直系であるのはもちろんだが、父である鵜葺草葺不合命には豊玉姫を通じて龍蛇族の血が半分流れており、さらに、自身の母も龍蛇族ということになるのだから、実に四分の三が龍蛇族の血ということになってくる。

これを事実そのままととらえるなら、天皇家とは初代から相当長大な年月にわたって、龍蛇族の血が濃い家系だったと考えた方がよさそうである。

ところが、『古事記』や『日本書紀』における神武天皇以降の記録は、神話というよりは歴史書に近い史実として書かれているのにもかかわらず、そこには、神武天皇ばかりでなくそれ以降の天皇についても龍蛇族とのかかわりを示すような内容はいっさい出てこない。

本当に天皇が龍蛇族の血を引いているのなら、それを示す身体的特徴があってもいいよ
うなものだが、記紀文書にはそういったことはまったく書かれていないのである。

だが、正史と見なされない歴史書の中には、神武天皇に始まる初期の天皇が龍蛇族との混血であることを思わせる記述が存在しているのだ。

『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』という歴史書に見られる神武天皇の姿は「身長一丈五寸、身太一囲五寸、頭有両角、三寸週猶雪、尻有素龍尾、長六咫四寸、尾背有太鱗、数七十有二、年百十有五立為皇太子」となっており、これをそのまま現代文に訳すると、

「背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしている。背中には龍のような背びれがあり、その長さはIメートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が七十二枚ある。115歳の時に皇太子の位に就かれた」……となる。まさに龍蛇族と人間との混血そのものの姿である。

驚異的な寿命の長さにも驚かされる。即位された年齢が115歳であるのなら寿命は、400~500歳の長寿であったと考えても決しておかしくないはずだ。

これはちょうど、「ノアの洪水伝説」に登場するノアの年齢と同じであり、世界各地の伝承において太古の人類が並外れた長寿とされることにも関連しているように思える。その長寿は龍蛇族との混血の結果もたらされたものかもしれない。

『先代旧事本紀大成経』の説くところでは、天皇の寿命は代を重ねるほどに減少していくが、こうした長寿の傾向は少なくとも十六代以上にわたって続いたようだ。すると、龍蛇族のDNAを強く受け継いだと思われる応神天皇あたりまでの治世は、『古事記』や『日本書紀』の説くところとは異なり6000~7000年にわたって続いたと考えてよさそうである。

さらにラルフークレイグ・カーペンター氏は五色神祭が6000年ぶりに開かれたと述べているが、もしもこれが応神天皇の「高天原の乱」からの年数であるとすると、ムー文明滅亡のあと新生・日本国が神武天皇によって新たなスタートを切ったのは、1万2000~1万3000年前ということになってくる。それは、私かこれまで『謎多き惑星地球(このほし)』(徳間書店刊)の中で述べてきた先史文明滅亡の時期と合致してくる。

その『先代旧事本紀大成経』に記されている歴代天皇の姿を現代文に訳したものが、カヴァーロ氏と私の対談を収めた『クラリオンからの伝言 超次元スターピープルの叡智』(徳間書店超知ライブラリー刊)に掲載されているので、それを次に引用しておく。神武天皇については先述した通りである。

在位期間については一般にいわれるところを記しているが、実際は今述べたように少なくとも十六代の仁徳天皇あたりまでは、歴史書に書かれているより遥かに太古の時代に在位していた可能性があると私は考えている。

なお、ここにある「神功(じんぐう)天皇」とは十四代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后のことを指す。一般には天皇とはされていないが、ここでは『先代旧事本紀大成経』の表記にならい天皇として記しておいた。

○綏靖(すいぜい)天皇(2代、在位BC581年~)
身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のよりな輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれか逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくものを言えませんでした。

○孝霊(こうれい)天皇(7代、在位BC290年~)
生まれながらの御容姿は、ほかの方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。耳は逆立ち、その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から気を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

O崇神(すうじん)天皇(10代、在位BC97年~)
背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が1本あります。下あごの歯は長く鋭く、上あごの歯は短く丸く、舌は長く鼻まで届きました。

○垂仁(すいにん)天皇(11代、在位BC29年~)
背の高さは約1メートル80センチ、髪は右回りに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

○神功(じんぐう)天皇(14代天皇の皇后、在位AD192年~)
ご容姿は非常にたおやかで美しく、その目には2つの瞳をお持ちでした。乳には9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

○応神(おうじん)天皇(15代、在位AD270年~)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」という丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番(つが)えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最期まで抜け落ちることはありませんでした。

○仁徳(にんとく)天皇(16代、在位AD313年~)
ご壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から囗の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のよりでした。

こうした『先代旧事本紀大成経』の記述を読むと、神武天皇以降代を重ねるほどに身長は少しずつ低くなっていったようであるが、かなり後になっても龍蛇族を思わせる容姿と優れた身体能力は保ち続けていたことが分かる。

これが真実だとすれば、日本の君主は龍蛇族の末裔ということになり、また日本人自体も龍蛇族の血を何らかの形で継いだ民族である可能性が大きくなってくる。

シリウス・プレアデス・ムーの流れ 龍蛇族直系の日本人よ! その超潜在パワーのすべてを解き放て (超☆わくわく) 単行本 – 2011/5/2 浅川 嘉富 (著)   抜粋