今日のYahooニュースで、「死刑執行の告知を当日に行うことが「尊厳を持って最期を迎えることができない」などとして死刑囚2人が国を訴えた訴訟で、大阪地裁は15日、原告の訴えを全面的に退けた。」というのがあった。

 

犯した罪に対して法律で定められた罰を与えるというのは、

罪刑法定主義というが、

刑の種類も軽微なものから死刑迄様々。

 

日本においては嘗て大岡越前などで有名な百叩きなどもあったし、

イスラム社会では現代においても鞭打ちの刑が存在する。

軽いものとしてはインドネシアなどの「公共施設におけるお掃除罰」などもあるが・・・

 

極刑と言われるのは死刑。

ロシア・ウクライナ戦争において囚人を戦地に送り、万が一生きて帰れば過去の罪を許すというものもあるが、それは実質的に死刑宣告のようなもの?

今回の死刑対象者に対して「人間の尊厳」が語られるのは、その「人間の尊厳」を破壊した犯罪者(死刑=他人を単一、または複数人殺害した人)ゆえにちょいと論点が違うとも感じてしまうのは私だけではないだろう?

 

嘗ての日本には家長制度が厳然としてあり、

そのため通常の殺人罪(199条)より尊属殺人(=親殺し・200条)が重かったが、今は廃止となっている。

親の価値激減??

 

目下、鬼平犯科帳を観ながら書いているのだが、

鬼平は火付け盗賊改めという組織の長であり、

江戸時代から、火付け(=放火罪・108条~110条)については重罪で、今もその流れはある。

更にそこに殺人という罪が重なれば相当重罪になる。

尤も同じ火事でも失火の場合(116条~117条)はその罪は放火と比較して相当軽い。

 

刑法には様々な罪に対して、罪刑法定主義に基づいて罰が規定されているが、

その罪が「死刑」しかないものもある。

刑法81条、外患誘致罪である。

 

外国と共謀して日本国に対し武力を行使させた場合に成立する罪である。

現代日本はC国をはじめ、何かときな臭い国がいくつかあって、

それらと共謀して戦争・紛争を惹起(じゃっき=ちょいと法律家的用語?)させた場合は即死刑。

因みにこの条文が適用されたことは戦後まだない。

 

若い頃「無知の涙」という本を読んだ。

永山則夫という男性4人を連続殺人して死刑判決を受けた囚人が書いたものだが、彼はその後「木橋」で新日本文学賞を受賞したが、「無知の涙」においては、哲学者の言葉を充分咀嚼できないままに、難しい単語を使って書かれていた。

 

中国においては、死刑判決から死刑執行まで長くても10日間ほどだが、日本の場合は判決から執行まで相当な時間を要することがままある。

そうした中で、冤罪事件として再審の上無実となることもある。

 

判決から執行まで長期に亘る時間の中で、

犯罪者の精神は如何なる変遷を遂げるものか判らないが、

人の命の価値観は時代によっても変化しているし、

何が正しくて何が問題なのかよく解らない。

 

罪の軽重と言われても、

歩けば蟻を踏み殺すこともあるだろうし、

蟻と人の命の重さを比較すれば・・・

痒みをもたらす蚊がわが身を差したときはパチンと撃ち殺し、

犬や猫、或いは家畜以外の大きな動物の死については

心が痛むというのは・・・

 

キリスト教下においては、

明確な差別主義があり、嘗てアフリカから人身売買された奴隷を家畜のように扱い、アフリカから欧州及び米国に移送された際に死んだ者は家畜以下に海に葬られたというが、

牛や豚を撲殺する時も飽くまでも食料の対象としてしか観ず・・・

 

神道及び仏教という環境に育った日本人はちと違う。

その感性、その価値観・・・

法律は慣習が条文になったもの?

学生時代に法律を学んで納得がいったものの一つに

ハンス・ヴェルツェルの目的的行為論がある。

なにゆえにその罪を犯したのか?

その人の社会的立場、価値観、感情、損得・・・

 

ということで再び、模範六法の面白読書に戻る!!??