蒸し暑いですねえ
梅雨ですもんね
さて たいへんです!
先日老猫の麦ちゃんを捕まえて
歯磨きと薬を塗ろうとしたら
キバがグラグラになってたんですねえ
毎日
歯磨きシートの袋を開封する音がした途端
逃げちゃうくらい警戒されていて
そばにいるから
歯磨きしようかなあと思っただけでも
気配を察知して逃げちゃうんですよね
そんなわけで
1週間ほど歯磨きをサボっちゃてたんですけど
口臭が酷くなってきたんで
さすがに気合を入れて
無理やり捕まえて口を開いたら
歯周病が悪化していて
触っただけでもキバがグラグラで
すぐにも抜けそうになっててびっくりしましたあ
たぶん歯っかけじーさんネコになるんだろうと
諦めてたんですけど
1週間経っても
なんとか持っています
調べたら
病院に行ったら麻酔 抜歯から歯茎の接合で
費用はもとより猫の負担もかなり大きそうなんで
ほっとく事にしました
人間用のお薬なんですけど
腫れが引いてきて
なんとかキバ 持つかなあ~
定期的にお世話になっている歯医者さんで
ちゃんとしたブラッシングが出来ているから
抜けてもおかしくない歯が保たれているんですよ~
っていつも褒め殺しを頂いているのを
信じてねw
麦ちゃんも
なんとかなるかもなあ
痛い所を触ると大騒ぎで暴れて
噛まれるは引っかかれるは
連日格闘モードでしたあ
ここ数日
痛みが引いたのか
お薬を素直に塗らして頂いてほっとしてますけど
思いっきり嫌われちゃってて
そばを通るだけでダッシュで逃げられるし
報われないなあ・・・
さて象山地下壕を後にして
姨捨駅 と麻績村(おみむら)の
聖湖にある聖博物館に向かいました
事前のナビ設定で
棚田で有名な姨捨駅まで一般道を指定していたんで
せっかく信州に来てるんだから
何処かのお店で蕎麦を食べようぜと走っていたら
象山を出るときに聖高原を再指定したためか
いつの間にか
長野ICに入っちゃいましたあ
そして更埴分岐で長野自動車道に
まあ
お蕎麦は後だねとか諦めて
高速を走っていると
山間部に入ると路面が濡れていて
雨上がりな感じだなあとK君と話すうちに
ワイパーを使うほどに振り出しました
長野自動車 姨捨SAから長野市方面
善光寺平 川中島を眺める
この敷地のすぐ下がスイッチバックで有名な
JRの姨捨駅で
踏切の音がしてきたんで期待したんだけど
列車は見えなかったなあ
夕立のような雨が晴れてきたんで
予定通り聖湖に行くことにしました
この後の麻績ICで降りてかなり戻る感じで
狭い急坂を登って聖湖に到着しました
かなりな遠回りだったけど
やっぱり高速道路は速かったねえ
受付に人が居なくて勝手に野外展示を見てようか?
どうしようかと思っていたら
係りの人が戻って来て入館しました
こういうボランティア活動は
純粋に好いですねえ(謎w
航空博物館だと思ってたら
いきなり鉄道資料コーナーが
麻績(おみ)駅
鉄道旗(国鉄社旗)ですねえ
黄色の文字を色補正してみました
「再建を誓う心に明日がある」と読めました
調べてみたらスローガンてやつらしい
そういうころのだったのかな
こんなの珍しいね
ハンドメイドの車両模型ですね
なんだか ほっこりしちゃいましたあ
鉄道用品と写真がいっぱい飾ってありました
展示というか・・置いてあるだけというか
手作り感いっぱいの説明板が好いねえ
J79エンジン
屋外に展示されているF-104から抜いてきたエンジンらしい
各部の解説がされていましたよ
お好きな人たちにはたまらんでしょうねえ
K君が細かいパーツを指さしてなんか言ってたね
なにやら脈絡もなく
航空関係の品が並べられていました
昔はスチュワーデスさんとて呼んでたよね
いつ頃の制服なんでしょうかねえ
ANA制服で検索したらすぐに出てきましたよ
1970~1974 4代目制服
1970年の大阪万博に合わせて
初めてのワンピースを導入
当時大流行していたAラインのミニスカートが特徴的 ヨクワカンネエ~ッス?
夏服は爽やかな青と白 冬服は黄色と茶色のワンピース
芦田 淳氏によるデザインだって
そーかー50年も経ってんだあ
歴史的資料だよねw
木製の燃料タンク
もしかしたら かなり貴重なモノかもね
調べたら
700リットル増漕はかなりの大型機用で
天山 彩雲のものと思われるとか
後ろの写真は彩雲なのかな
豊科出身の飯沼飛行士
天山の写真
長野県内各地からの寄贈品が展示されてるんですね
う~~ん
人を信じているからだとはおもうけど
監視カメラとかはあるとしても
無防備だよねえ
謎の爆発で沈んだ戦艦陸奥
戦後海中から引き揚げられた部品
この模型は大和型じゃないかな
記載しとかないと陸奥だと思われちゃうよね
錨⚓のくさり
なんだか すごいのがあったよw
例によってK君が足早に外に出て行ったんで
写真を撮りながら
追いかけたんだけど
巡回路にあった
こちらの羅漢さんはじっくり拝見したかったのお
麻績村の歴史文化コーナーの一角らしいけど
次の機会があればこちらのフロアもじっくりと見学したいなあ
明治38年は1905年
ほぼ120年前の羅漢様
お顔がリアルすぎる
一般の個人が一生をかけて彫られたらしい
すごいね
屋外展示場
奥が聖湖ですね
厚い雲がかなりの速さで動いてました
前回は休館日だったんで
フェンス外からのチラ見だったんだけど
間近で見るとやっぱりボリューム感がすごいね
聖博物館を開館するおり
当時の村長さんが旧軍で特攻隊教育をされた後
航空自衛隊に在職された方で
平和教育に特に熱心だったとか
村長さんが空自のOBだったことにより
展示品は全機
航空自衛隊からの無償貸与機となっているようで
美しい高原とはいえこんな山奥に引っ張って来られたんだとか
ギャオスの超音波メス光線ですっぱり切られちゃった戦闘機ですね
ガメラシリーズや昔の特撮モノでは
出動してすぐに やられちゃう
お約束の戦闘機ですよねえ
なぜかゴジラシリーズには登場してないんだとか ソーダッケカ?
Fー104 J って今じゃ小型機になるんだけど
ひとと並ぶと大きいんだねえ
自然に出来た細かい傷で内部が見にくかったけど
コックピット内は新型戦闘機に比べたら広いかも
機密機器なんかは外してあるのかもだけど
F-2なんかに比べたら機器がめっちゃシンプルですなあ
ほっそいよねえ~
三菱重工によるライセンス生産機
製造元の現場では外見に因んで
「三菱鉛筆」とか呼ばれていたみたいw
なんかの航空機のフラップかな
戦艦 陸奥の主砲
戦後海中から引き揚げられた正真正銘本物の41cm砲身
横須賀のヴェルニー公園
広島県呉市大和ミュージアムと
ここ麻績村の3本のみが現存してます
砲身寿命は250発で交換とか
意外にコスパが良くないんですねえ
観察台から
砲身の中が覗けるようになってますけど
絶対に入っちゃいけませんよw
小柄な人なら入れるほどに太いんです
内径41センチです
昔は足にヒモを着けられた少年兵が入って
身体全身を使って清掃していたとか
45口径41センチ砲41糎徹甲弾
本物の砲弾
でっかいっす
戦艦大和型の46㎝口径が過去日本最大なんだけど
現在は海の底なんで
次の大口径となる41㎝砲は現存する日本最大の砲身なんだとか
蒸気機関車がいた
長工式集煙装置がかっこいいねえ
長野工場制作ってことです
保存機としては
最高部類のコンディションじゃないかな
ぴかぴか過ぎずに現役当時の機関車みたい
火を入れたら動き出しそうなオーラが出てましたあw
数年前のレポート写真ではかなり状態が悪かったみたいですね
ボランティア活動の皆さんありがとうございます
機関室に入りたかったけど
入室禁止でしたねえ 残念
晩年の12年間は木曽路を走っていたから
木曽福島機関区の「木」なんですね
良くこんな山の上に運んできたねえ
陸奥の主砲もそうだけど
村長さん偉すぎです
ノースアメリカン F-86Dセイバードッグ
先端の黒い部分にレーダーが入っていた
全天候型戦闘機
ほぼアメリカ軍から航空自衛隊への払い下げで
部品等の調達が難しく
整備士パイロット共に苦労したため
早々に退役したんだとか
ほとんどをアメリカに返却したんで
日本国内で展示されている数は少なくかなり珍しいんだとか
ノースアメリカン F-86F セイバー
航空自衛隊では国内でのライセンス生産も含めて300機以上が導入され
26年の長きにわたり主力として運用が続けられた戦闘機で
空自の初代ブルーインパルスはF-86Fから始まった
ただしD型とは違いレーダー未搭載なため
夜間悪天候時には運用できなかったが
使いやすかったため長期に使用されたんだとか
あたしらの他には誰も居ない完全な貸し切り状態で
自衛隊機に囲まれていたら
航空自衛隊長野基地と言われても納得しちゃう雰囲気だったねえ
地下壕群を見て来た後なんで
もしかして山の斜面が開くと
巨大地下壕が隠されてて
ゼロ戦とか震電とか
まだまだ何機か隠してんじゃねーのって
妄想したりしてきましたよw
こちらは二度目の訪問でしたが
やっぱり高原の空気は好かったですねえ
キャンプ場バンガロー棟もあるし
次回はカミさんを連れてのんびりしたいですなあ
星空も凄いんだろうしねえ
さて帰宅後
資料館で頂いてきたパンフレットを見てたら
こちらの麻績村ってのは
平安の頃からの歴史があって
善光寺街道筋の拠点で
姨捨 麻績宿 青柳宿と
色々な歴史があったんですねえ
松尾芭蕉の更級日記とか
う~ん勉強になるなあ
すぐに忘れちゃうんだけどね
お好きな方は拡大して読んでみて下さいね
軍事オタのK君の御接待で来たんですけど
陸軍系趣味が本領なんで
空にはそれほどのインパクトが無かったとか
まあ
いいでしょw
この後は 修那羅山安宮神社様に伺いました
ではでは
長々と失礼しましたm(__)m