お久しぶりです

久々のブログ記事のネタが出来ました

 

先日

ジジイ三人で信州日帰りのドライブをしてきましたよ

子供の頃のボーイスカウト時代の先輩達とです

もう50年来の付き合いなんですね

定期的に連絡は取れていたんですけど

二人とも定年にはなっていても

 それぞれ あれこれと忙しいようですねえ

一人は

たまたまスケジュールが空いてたからだぞって

手帳をみたらギッシリw

リタイアしても忙しいんだねえ

 

三人そろってのお出かけは10年ぶりくらいかなあ

 

まあ 会えば昔のままで

気は楽で道中楽しかったんですけど

今月67歳になるのに

今でもあたしゃ下っ端なんですよねえw

 

本来は

同窓会みたいなつもりで今回の旅を企画したヤツが

急遽身内の事情でドタキャンしまして

あちらもリタイアしてても

なんやかんやと忙しいもんですなあ

ひまがあるのはあたしだけかいw

あたしのコンパクトカーでの旅となりましたあ

 

本来ならヤツのベンツで運転させて

三人は呑みながらの

大名旅行の予定だったんですけどねえw

 

数日前からお天気に不安があったんですけど

全員晴れ男というか

最高なお天気になりましたあ

 

先頃 高齢者運転講習を受けたという先輩に

ハンドルを任せました

自分の車の後席に座るなんて

初めての体験だなあ

意外に乗り心地が悪いなあw

 

三人合わせて軽~く200kg超え

碓氷の登りはアクセルベタ踏みで

なんとか制限速度に乗せるのが大変だったとか

頑張ったね1,000ccなのにねw

 

まだ上信越自動車なんてなかった頃

スキーで何度も通った

18号線 碓氷バイパスや旧道の話で

盛り上がったり ジイイだなあw

 

普段前しか見てないんで

真横を流れる景色が新鮮でしたねえ

碓氷では平行するフェンスの急な傾斜を見ていたら

勾配がすごいってのが分かって面白かったなあ

裏妙義のゴツゴツや

横川駅周辺のザンゲ岩もじっくり眺めたし

EF63が必要だったのがよく分かったわw

そこかい!ww

 

上信越自動車道を坂城ICで降りて

40分程で

聖高原の聖湖のキャンプ場に着きました

坂道は重くて先輩 運転ご苦労様でしたあw

 

今回の旅は あたしのリクエストで

修那羅山安宮神社様の石仏群を目的にしていたんですけど

せっかくの信州旅なんで

どこか寄り道ポイントでもないかなあと調べていたら

聖湖の湖畔に何やら怪しい博物館があるとかで

少し調べてみたら

面白そうじゃんと

メンバーの了承を得て

ちょいと遠回りな寄り道だけど行ってきました

 

最初の目的地は 麻績村立聖博物館 航空資料館

 

1965年8月14日 - 皇太子殿下(現・明仁上皇)が御訪問

 

 

「麻績村立 聖博物館」

長野県東筑摩郡 麻績村(オミムラ)

昭和45年に現在の麻績村小学校が新築された時

旧小学校校舎が廃棄されることになった

しかし

松本の開智学校と同年代の明治10年建造の

貴重な建築様式を持つ校舎を永く保存しようと

昭和46年、聖高原に移し縮小して復元した

館内は

民俗資料 麻績村開発誌 鳥獣類の剥製品
魚介類・昆虫類・海藻類・植物類・岩石類などの標本
仏像・石仏類・書画などの美術品 が展示されているとか

 

インターネッツで調べてたら

航空博物館の記事ばかりが出てくるんで

航空機専門の博物館だと思っていたんですけど

航空機は付属資料館の位置づけだったんですねえ

 

 

1971年11月19日 - 航空資料館が開館

資料館に掲げられた「航空資料館建築の趣意」には

著しい航空進歩の度合を学び今まで辿り来った貴重な経緯を展示して

過去を偲び現代を知り

未来に夢を馳せることこそ航空教育の高揚に資するもの大なりという

当時の宮下士義麻績村長の言葉から

文化遺産を復元することで教育施設の推移を後世に伝えるとともに

現代社会の情勢を見通し激変する社会の進展度を航空機と

その技術が代表するものとして

復元した旧校舎に航空資料館を設置した・・・

 

難しいなあw

 

博物館前の広場

突然山の奥に・・・

人工物のかたまりがw

意表を突かれすぎたけど

素晴らしいことだと思いましたよ

キャンプにきた子供とかも楽しい思い出になるんだろうなあ

 

展示品は全機

航空自衛隊からの無償貸与機となっているとか

借してくれるんだあw

村長さんが空自のOBだったから

美しい高原とはいえこんな山奥に引っ張って来られたんだとか

凄いことですなあ

館内には航空機エンジン 部品 資料等が展示されていて

航空ファンのお好きな方にはお宝満載らしいですねえ

 

ビーチアエクラフト T-34A メンター 「はつかぜ」
航空自衛隊における練習機として1950年代にアメリカからの供与

及び富士重工によるライセンス生産により運用された機体
その後は陸自や海自においても練習機・連絡機として運用されました

 

ノースアメリカン F-86D セイバー「月光」

Dタイプは初めて見たかも
機体先端の黒い部分にレーダーを装備した事が特徴

左手にFー86Fが

 

なんだかウルトラホーク1号が

内緒で展示されているみたいだねえw

さわやかな高原に似合わないポツンと人工物w

やっぱり異様な風景だよなあ

でも全然悪くは無いし心地よかったなあ

 

事前情報から

この日が休館日なのは分かっていたんですけど

屋外展示は見学できそうかもと期待して来たんですけどねえ

残念ながら公園内にも入れなかったけど

フェンスの外から撮れたんでOKです!

 

戦艦陸奥の砲身と F104 Fー86F

同世代の似た者達なんで

軍事知識も豊富で

展示品の貴重さが分かっているんで

みんな楽しんでいましたあ

 

ノースアメリカン(当時) F-86F セイバー

部隊内愛称は「旭光」

初代プルーインパルスでしたねえ

最晩年なのかな

入間の航空祭で飛んでたのを覚えてますよ


初代ゴジラから昭和の怪獣映画では

毎回 迎撃戦闘してましたねえ

ラドンと空中戦をしたり

子供心でも

だめだこりゃあ~ってくらい

やられっぱなしだったけどねw

 

4機とも入間基地とかで保存はされてはいるんだけど

エプロンじゃなくて山の上に置いてあると

不思議な感じがして 好いねえ~

 

ロッキード(当時)F-104J スターファイター「栄光」

230機が配備され1986年には全機退役

ウルトラQ ウルトラマン時代の攻撃機といえば

これでしたよねえ

ギャオスの超音波光線で真っ二つにされたのが忘れられないのお

時代的なのか?な ゴジラシリーズでは

参加してないみたいですねえ

 

右奥の屋根の下ににD51 769 が展示されていました

長野工場式集煙装置が目視で分かったから

航空機より そばでじっくりと見たかったなあ

 


大日本帝国海軍 連合艦隊 元旗艦

戦艦 陸奥

41cm主砲身

長さ約18.8メートル、重さ約102トン

日本製鋼所の室蘭製作所で造られた

 

陸奥といえば瀬戸内海での停泊中に

謎の大爆発で沈んだ不運艦ですよねえ

戦後海中からサルベージした内の一本みたいですね

どうやって運んだんだろかい?

はるばる こんな山の中にねえ

 

帰宅後 ういきを見てたら

 

陸奥をサルベージした理由として

陸奥の廃材は戦後の復興に役立った鉄なんだとか

通称 陸奥鉄

現代の鉄と異なり戦前の鉄には製鉄時に

放射性コバルトが含有されていなく

また充分厚みを確保できることから

医療機器等 放射線遮蔽体としてふさわしい材質なんだとか

近現代は また無垢な鉄が造られているとか

 

 戦前の学校の教科書に描かれたり

男子がイメージする軍艦といえば

連合艦隊の主力である 陸奥 長門であった

陸奥 長門は日本の誇りという いろはがるたも作られるほど

国民から愛されアイドル的な戦艦だった

 海軍兵学校でも陸奥 長門の四一センチ砲が太平洋を睨んでいれば

アメリカは攻めてこないと語り継がれた程であるとか

 

へえ~知らんかったわ

 

ジジイでも一応 戦後っ子なんでねw

でも そんな話も

聞いた事があったような昔の記憶も戻ってきたりして

 武蔵 大和は超極秘 戦艦で

終戦まで民間人は存在自体知らなったとか

戦艦の名前は全部言えたし

漫画雑誌の特集とかがあれば

カッコイイなあと読み込んだ世代だからねえw

 

戦艦の41cmの主砲の完品って

ベルニー公園 呉の大和ミュージアムと

こちらの

3本しか残ってないんですねえ

ほとんどの戦艦は外地の深い海の底だからだねえ

合掌

 

ベルニー公園のは 拝見したし

呉かあ いつかは行きたいもんだねえ

ほへえ~~
砲身寿命は発砲250発位とか

以外に維持とか大変なんですねえ

交換用に複数本造られたんだろうけど

まあ当時は軍事的な先端技術を使った機械部品だし

立派な産業遺構なんでしょねえ

館内には錨につけるくさりも保存されているとか

すごいぞ すごいぞ

 

主砲の横の展示理由には
戦争被害の縮図ともいえる主砲を展示することによって

戦争の悲惨さを回顧して平和を願う
世界最強ともいえる軍艦の製造技術は

戦後の造船大国となった日本に引き継がれた
優秀な技術は一朝一夕にはならず伝統の重要性を認識すること
リテルハートという人の

「平和を欲するならば戦争を理解せよ」

という言葉が記されていたよ

 

インターネッツで色々調べていたら

当時の村長さんは旧軍で特攻隊教育をされた後

航空自衛隊に在職されたからか

平和教育に特に熱心だったとか

 

30度超えて暑いんだけど

日陰に入ると静かで涼しい美しい高原でした

キャンプして ビールとかプシュしてのんびりしたかったなあ

誰も居ないと思っていたけど

ポツポツと散策した人がいましたよ

キャンプ客なのかな

 

予想外に立派なリゾート地でしたあ

また行ってもいいかな~

今度はキャンプがいいなあ

 

(過去画像)

聖高原に行く途中に篠ノ井線 姨捨駅のこの先の踏切を渡ったんですよね

 

日本三大車窓の

姨捨の棚田

 

 

後席から見ていたら

棚田の稲穂が刈り取り直前で

黄金色に光っていてきれいだったんで

付近に棚田の展望台もあったし

帰りに見物しようと話していたんですけど

 

ナビの通りに走り出したら聖湖を出てすぐに

登ってきた道と違うルートを案内されたのに気付かず

姨捨駅に寄れなかったんですよねえ

お土産ものもそうだけど

旅は出会った時に寄らなきゃダメなんですよねえ

ああ・・・残念

 この後は修那羅山安宮神社様に向かいました

 

長々と失礼しましたm(__)m