こんにちはあ
最近はお天気が愚図ついてますねえ
やっと今日は久々の快晴になりましたあ
先日の10月18日に諏訪に行って来ました
紅葉を見たかったんで
数年前に行った山梨県の瑞牆山辺りの紅葉と
有井館で美味しいお蕎麦をたべたいなと思ってました
一週間ぐらい前から天気予報が傘マークばかりで
最悪インドアの博物館等巡りでもしようかと諦めていましたが
前日になって急に
瑞牆周辺はお昼ごろに少しだけど
晴れ間の予報がでてきたんですね
微妙なところだなあと
カミさんが以前から秋の原村
御鍬社に再訪したいと言っていたんで
そちらのお天気を見るとなんと
諏訪周辺だけは一日中晴れマークがでていました
じゃあやっぱり諏訪に行こうかと
7時頃調布ⅠCから中央道に入りました
いつもは楽しめる富士山も見えないどんよりの空でしたねえ
甲府盆地に入るまで
雨が降ったり止んだり周りの山々は雲の中で
ほんと大丈夫かいなあと
八ヶ岳PA
甲府盆地から太陽が出てきて
やっと空が青くなりました
ほんとは韮崎辺りから見る
八ヶ岳が一番カッコイイんですけど
運転中は撮れないですもんねw
小淵沢ICを出て10数分
突然開けた風景が出てきて車を止めてみました
駐車スペースがあったんで
バックして停めて外に出たら
気温16度とはいえ風が冷たくて寒かったなあ
赤いのは何かなとよく見たら一面 蕎麦の実でした
カミさんがここでスケッチでもと考えたけど
寒すぎて諦めたんだとか
帰宅後調べたら真っ先に出てきたのが
ここは
蕎麦の花が咲く頃に写真家たちが集まるポイントなんだとか
長野県諏訪郡富士見町境
帰宅後 先達甲六公園を調べたら
ともかく情報が無さ過ぎてw
蕎麦の花撮影以外が
なかなか見つかりませんでしたねえ
先達甲六なんて不思議すぎて訳分かりませんw
何処かに案内板とかあったのかなあ??
あと現場では気付かなかったけど
右端にかすかに写っている柵の中に
諏訪の御柱が立っていたんですね
なにやら
諏訪の御柱の曳行の練習をした柱なんだとか
それの解説版もあったらしいけど気にしなかったなあ
どうやら近くに 先達城という城跡があるらしく
その関連の狼煙台跡なんだと分かりました
信濃と甲斐との国境に当たる場所から
信濃方面と接続する街道を監視するための境目の城として
武田信玄の父 武田信虎が造った城で
後に家臣が受け継いだ城なんだとか
現在は地形だけで何も残っていないようで
山城マニアぐらいしか知らないレベルみたい
階段を昇ってみました
奥の展望台は老朽化なのかな?
立ち入れない様になっていました
祠様がふたつ
突然お邪魔しますうって
お詣りをさせていただきましたよ
「山の神」と書かれた石碑が収められていました
裏側も蕎麦畑でした
たしかに見晴らしが良いですねえ
調べるうちに
なんだか狼煙を焚いた跡みたいな穴と石があるとか
気が付かなかったなあ
まさにその中でこの写真を撮っていたんだけどw
つまずいて転ばない様にと石を気にはしてた記憶はあるけどね
まあ~400年も経っているからレプリカなんでしょうけどね
本物だったら柵とかして
もっとちゃんと保存とかしてたはずだよね
案内板を見てたら
あ~そ~か~ かなり昔
編笠山のすそ野を走る原生林の中の道路の
紅葉がきれいだった記憶があるんで
せっかく諏訪に行くなら紅葉ドライブを期待して
小淵沢ICで降りたんですけど
昔走った道は
原村のペンション村に通じている鉢巻道路だったのね
広々とした農耕地ばかりで変だなあと思ってたら
並行してる南側の
県道17号七里岩ラインを走っていたんですねえ
あれれ・・・井戸尻遺跡が近いじゃん
尖石遺跡資料館に行った時に井戸尻遺跡の出土品とか見ていたし
縄文遺跡として あたしでも知ってるくらい相当有名だし
機会があれば行ってみたかったんですよねえ
井戸尻遺跡考古館
てことで 15分ほどで到着しました
信濃境駅からすぐそばなんですねえ
こんなとこにあったんだあ
ういき等から井戸尻文化をまとめてみました
長野県のほぼ中央に位置する八ヶ岳山麓地域は
湧水が沸くため縄文時代の遺跡が多く
井戸尻遺跡は八ヶ岳南麓海抜800m~1000mの
尾根や台地上に立地する釜無川に向かって
緩やかに落ち込む傾斜地となっているため
湧水が豊富でありこの水に恵まれた環境が
集落形成の要因になっていると考えられている
加えて先土器時代から
黒曜石の原産地として知られていた和田峠にも
距離的に近く生活に必要な資源を入手しやすかったため
人々が定住するのに適していたと考えられる
井戸尻と近隣の尖石 両遺跡から出土した土器土偶を調べると
かなり異なっているため独立した文化圏だったと思われる
井戸尻文化は縄文中期5000年ほど前かな
5月に行ってた ちょいとガッカリ君だったw
すぐそばの阿久遺跡はどうなのかって調べたら
縄文早期 1万1500年前 ~7000年前だったから
関連はあんまり無いのかもねえ
こちらの遺跡を精力的に調査された
諏訪市出身の考古学者氏が
縄文人は当時 学術的に
採集移動生活で農耕定住生活が認めらていなかった時代
食事痕の遺物や器具の発掘物から
農耕をしていたのではとの説を提唱していたそうですね
亡くなられるまで農耕定住生活説は
残念ながら認められなかったそうですけど
現代では三内丸山遺跡等の調査から
縄文人も農耕をしていた説が一般的になってきたようですね
考古館に入りました
ちょっと時代が経っている室内は薄暗いけど
整然と並べられた土器群が並んでいました
縄文中期の初頭 BC3000
矢じりを使ったレプリカなんだろうけど
戦国時代のと変わりませんねえ
二階建て?
石鏃(せきぞく) 黒曜石の矢じり
あちこちに いっぱいありすぎて
おなかいっぱいになりましたよw
石草鋤
凸型の包丁で手に持ってアワ キビ 稲?の根元を刈っていたとか
みづち
日本の神話・伝説で水と関係があるとみなされる
竜類か伝説上の蛇類または水神だとか
半人半蛙(はんじんはんあ)像
撮影禁止
この解説図・・・
ちょっと何言ってんのかわからないっすw
古事記の神話世界にもつながるんだとか
ここはカエルの遺物が多かったなあ
太古中国大陸でも似たような模様があるらしく
蛙文は月の不死性を象徴していたと想像されているそうですね
諏訪大社上社本宮のカエルの御神事も
縄文時代から繋がっているのかなあと妄想しましたよw
前から見ると かわいいねえ
裏に回ると頭にヘビがとぐろを巻いてたり
けっこうワイルド系でした
始祖女神像(重要文化財)
こちらのスター土偶さんだとか
4300年ほど前の遺跡から出土
体に刻まれた文様が ち密で意味が深く
いろいろな考察が出ているそうです
同じ時期の土偶の中でも精密で珍しいんだとか
子供でも いやあたしにも分かりやすい解説ですね
石棒ですね
陰陽石っぽいけどね
博物館に来るとつい買っちゃうんですよねえ
お賽銭のつもりもあるしねw
お買い得なボリュームで800円でした
撮影禁止の表示が分かりにくかったんで
つい撮っちゃった事もあったけど
以降気にしてちゃんと守って撮らなかったから
ブログには上げられなかったけど
こんなすごいのがいっぱい展示されていたんですよねえ
隣にある民俗資料館に行く途中
リンゴがいっぱい
富士見町歴史民俗資料館
共通チケットなんで入館してみました
パンフレットを見ると町内から集められた
明治大正期の農具 生活用品 養蚕 製糸具が展示され
当時の民家を移築再現されていると
乗馬というより農耕用の馬具が多かったね
七人の侍とか時代劇を思いだしますなあ
奥に藁で編んだ「いずみ」
今でいう赤ん坊から幼児期のベッドですね
垂れ流ししてもいいように布切れを入れて使っていたとか
カミさんが
いずみって名前じゃなかったけど
姉ちゃんが入っている写真があるから
あたしも入っていたかもねえとかw
時代がバラバラで雑多に展示されているけど
じっくり見ると面白いものばかり
右下の木製入歯にゃあ驚いたねえ
水分が含まれると膨張して口中にピッタリと付くんだとか
入隊準備のガイドブックかな
昭和だろうけど漫画絵が古くないなあ
アヘン吸器に目が行ってしまったあ
中華の人達が阿片を吸っている図は
映画や写真でよく見るけど 本物だあw
お酒も入るのね
他にも戦国時代の武具刀剣資料の展示室があって
中々興味深かったけど室内撮影不可が残念でしたねえ
縄文土器もいいけど
民具もゆっくり見ると面白かったですねえ
展示棟を出るとサッカーグラウンドより広い芝地が
ここで発掘調査をしたんですね
雲が切れれば南アルプスと富士山が良く見えるはず
7千年前に人が住み始め
12件の竪穴式住居の跡が確認されているとか
住居跡地には杭が立ってました
いやいや面白かったです
カミさんは公園の端に行って戻って来ないと思ったら
栗の木の下に栗が落ちていたのを見つけて
栗拾いをしてたんだとか
誰も採った気配が無いから もったいな~いってw
軽い気持ちで来たんですけど両館ともに
じっくりと拝観しちゃって朝から疲れたけど
面白かったですねえ
気が付くと2時間ほどの滞在で
偶然に好い寄り道ができました
小淵沢ICを降りた時点で
人気のお蕎麦屋さんらしいからと
アタリを着けていたお店が
時間的にオープン前で
今回も観光的な飲食が出来ないで帰るのかあと
諦めていたんですけど
さすがにお蕎麦屋さんも営業開始してそうなんで
お蕎麦屋さんに向かって移動しました
長々と失礼しましたm(__)m