こんにちはあ

運よく未だに疫病から逃げ続けていますけど

ここまで来たらやっぱり掛かりたくはないですよねえ

周りは けっこうやられちゃった話を

聞いてはいるんですけどねえ

剣呑剣呑

 

幸いにもみんな深刻な問題にはならなかったようで

良かったけどね

 

体温計が42度まで上がって

ラリって楽しく成っちゃったとか

味覚が3週間目で戻って良かったあ

支援物資に知らないカップ麺が入ってて

すげ~嬉しかったけど

喰っても味が分からんとかw

中々効かないダイエットが出来たア

みんな若いからか面白がって

笑い話として聞かせてもらったけど

大変ですよねえ

 

今回も写真の枚数が多くなりました

適当にご覧くださいなm(__)m

 

さて

ロマンスカーミュージアムを退館したら

雨がやんでいたんで

予定通り寒川支線の廃線探索に行ってみようかと

JR海老名駅に移動しました

小田急老名駅からミュージアム入り口

JR駅までデッキが続いていて便利でしたねえ

 

 

 

橋本~茅ヶ崎間を走る相模線の寒川駅に到着

誰かが雨雲レーダーで確認したら

3時間ぐらいは雨が降りそうにないと分かったんで

降りてみました

降りたらなんとなく海の香りがしたなあ

幹事役のMさんに話したら

もうここは茅ケ崎に近いんだとか

台風の余波でお天気がぐちゃぐちゃだったんで

海風が来てたのかもねえ

 

向こう側が橋本方面

左手の草地が

旧寒川支線の線路跡かな?

 

外に出ると昔からある国鉄時代の

コンクリートの鉄道柵が続いてました

 

当時はこの横断する道路も無かったようで

並木の奥に線路が続いていたそうな

 

交差点の奥には相模一宮 寒川神社様の鳥居が見えたんで

ここから遥拝させていただきました

そういえば

寒川神社を参拝する場合は

次の宮山駅下車のほうが早いですって

寒川駅に案内があったなあ

ここまでそんなに遠かったとは思えなかったけど

正式な参拝口は違うのかな?

帰りには参拝出来たらと思いながら

廃線跡を進みました

 

交差点から線路跡が遊歩道になっていました

「一之宮緑道」

 

突然線路と車輪が

 

今歩いてきた路を振り返りました

 

何の車輪なのか

刻印を撮ってきたけど

結局分かりませんでしたねえw

 

当時からの線路が出てきました

 

20分くらいで到着

左手はかなり広めな自然公園がありました

太陽が出てきて日差しが強くなったら暑い暑い

湿気も凄くて汗が止まりませんでした

それでも公園の木陰で少しは楽させてもらったなあ

 

神奈川県の寒川支線
寒川駅から分かれて1駅1.5kmの短い路線でした

首都圏内で簡単に廃線ウォークができるんで

人気の廃線跡なんだとか

歴史的には
大正時代から相模川の砂利を輸送するのが目的の貨物線でしたが

大規模工場が出来てから社員用にと旅客営業を開始しています

戦中戦後 以降 紆余曲折があって

国鉄時代の1984(昭和59)年

3月31日をもって営業を終了 翌日廃止となりました
意外にも海老名駅開業(1987年)に先立ってのこととか

 

所々草に埋もれてましたけど

線路は続いてました

ど真ん中に木が生えてますね

廃線後40年弱は経っているからなあ

 

公園エリアが終わる所で線路は切れてました

公園の施設として残されてるですかね

そのあとはしばらく

住宅エリア内の遊歩道を進みました

 

またまた車輪が

今度は軸箱付きですねえ

みんなで車両の想像しながらあれやこれや

こういうのは楽しいねえ

仲間のありがたさを感じますねえ

 

あたしは元々砂利の輸送をしていたんだから

昔のトムとか短軸貨車の車輪じゃねーか~と

スポークじゃなくてボックス車輪てのが引っかかったけどね

なんだか貨車用の車輪を天地逆に置いてある気がしてたんでねえ

 

日立のマークしか分からん

 

八王子管轄のマークかな?

絶対 台車に精通している鉄道ファンがいるだろうからと

とりあえず刻印の写真を撮ってきましたが・・・

帰宅後調べたら刻印の数字からは分からなかったけど

どうやら

キハ30型に使われていた台車

2軸のDT22の片割れの車輪らしいと分かりました

写真を見比べてもおんなじでした

両側の穴の上にはスプリングコイルが立っていたようですね

台車そのままだと良かったけど

バラバラにされちゃうと分かりませんねえw

まあ台車そのままだと子供が遊んで危ないかもなあ

 

確かに当時はキハ30型が運行されていたんで

ちゃんと歴史的な当時の車輪が保存されていたんですねえ

 

寒川支線の終点 西寒川駅跡に着きました

寒川駅からいろいろ探索しながら

のんびりしたんでと45分くらいだったかな

 

西寒川駅の跡は「八角広場」という小さな公園になっていて

旧海軍 相模原海軍工廠の碑が立っていました

元々は民間工場だった所に戦前から戦後まで

海軍直営の軍需工場があったんですね

 

実はまだこの先に線路がつながっていて

西寒川駅の次に「四之宮駅」という駅があったそうですが

国有化と同時に廃止されたのは1944(昭和19)年の事だとか

 

振り返って撮影 奥が西寒川駅跡ですね

圏央道寒川ICのそばをくぐります

昔は西寒川駅のヤードがあったようですけど

何の気配も無いです

この辺りに旧海軍工廠内に入る

分岐線路があったらしいようですが

分かりませんでした

この後は車も通らないし

人っ気がまるでない歩道をとことこ歩きました

 

工業団地群に隣接している道路を歩きました

進行左手の工場群の敷地内 塀の中ギリギリに

現道路と並行して線路が走っていたようですね

 

小さな用水路を跨ぐ所を見たら

昔の小さな鉄橋の跡がありました

西寒川駅跡から見られた遺構はこれだけでしたねえ

 

仲間が工場の守衛所で線路の話を聞いてきたみたいでした

工場内には もう何もないんだとか

 

この先は相模川の河原に隣接していた

砂利採取地の積み下ろし施設まで

線路はつながっていたそうですけど

このまま歩いても

廃線遺構は見られそうにないので

この辺で折り返しました

相模川の河原には他にも

砂利採取用の貨物線が他にもあったそうですね

 

来た道を戻り八角公園に戻りました

いやあ~暑かったなあ

ここにはバス停があったんで

バスで一気に戻るのも

涼しくて良いかと思って時刻表を見たら

40分程待つようで

相談の末 駅まで歩くことにしました

 

 

八角公園のはじにありました

「田村の渡し」で相模川を渡り大山に通じるこの道は

行き交う旅人たちでにぎわったという

大山の阿夫利神社参拝の帰りに当時から

名勝地であった江ノ島や鎌倉に立ち寄るのが人気であったとか

 

公園には管理棟に廃線の資料館があるとの情報で

幹事役のM君が管理棟を覗いていたら

そばの木陰にいた4~5人の老人グループの一人が

近づいてきて

なんだか言って来ました

私らの事を怪しい集団だと思ったんだろね

廃線跡の散策だと答えたら

なんだ・・ぶつぶつ・・・

資料なんてなんにもないぞと

 

確かに中年男4人がウロウロしてたから怪しいけど

あんたらも昼間っから

公園でたむろしてるのも十分怪しいけどなあw

 

虹が出てた

 

寒川駅に着く前に寒川神社様に寄りたいと思ってたんですけど

もうすぐ雨が降り出すとかの声が出ていたんで

みんなを誘えなかったなあ

駅に到着直前に雨がポツリと落ちてきて

すぐに電車がきてラッキーと

しかも

走り出したら凄い雨が降り出して

参拝してたらずぶぬれになっていたなあ

海老名駅に着いても視界を遮るほどの豪雨でした

 

雨の中 駅周辺でお店を探すのも面倒だったんで

海老名駅の商業ビルの居酒屋さんで

お疲れ様~

サクッと飲んで次のロマンスカーで帰りましょうのはずが

けっこう長居をしちゃったなあw

 

やっと雨が止んだみたい

 

あっ車内で呑むビール買うの忘れてたあw

もうおなかいっぱいだからいいいやね~

 

乗車直前に券売機で指定席券を買ったら

先頭車でしたあ

 

せっかくの前面展望車

そろそろ新宿駅が近づいてきたんで前に移動してみましたよ

 

 

 

 

新宿駅 明るいねえ

 

乗客が降りきってから みんなで撮影をしていたら

「階段が降りてきます ご注意ください」の

アナウンスとメロディーが聞こえてきました

 

運転士さんが降りてきた

 

鉄旅終了~

ここで解散しました

次回は大宮のてっぱくでEF5861詣でをしましょうと

うん楽しかったぞ~~

 

今回の旅は

台風の余波にありがちの

目まぐるしく急変したお天気でした

移動中の電車やインドアに居たときには

凄い雨が降っていましたけど

移動中には降られず傘を出すこともなく

ラッキーな一日でした

 

 

長々と失礼しましたm(__)m