こんにちはあ

さて今回は

いよいよ最近マイブームが続いている

埋蔵金の話を書こうと思います

数回に分けるか今のところ分かりませんけど

長文になりそうなんで

よろしくお願いしますねw

 

※結果分割しなかったんで長くなりましたあ

 

先日パソコンを新しくしてから

ソフトの移行の最後にお気に入りの整理をしてたら

数年前に読んでいた巨大掲示板のスレのURLが出てきまして

ちょいと読んだら面白くなっちゃって

過去スレを20年弱前まで遡って読み始めていました

 

スレのテーマは埋蔵金を探している人達の

情報交換場なんですね

公開される掲示板なんで

自分の研究成果の深い所は明かさずとも

他人の情報を取ろうとする駆け引きも意外に面白いんですねえw

 

最近は仕事の合間にお気に入りのアメブロさんに

お邪魔する時間も取れないほどスレを読み漁っていました

20年弱分はボリュームがありますねえw

 

さて

埋蔵金と言えば赤城の徳川埋蔵金ですよねえ

昔 糸井重里氏がヘルメット被って

穴を掘るだけの番組が流行りましたよねえ

毎回録画して後年 観なおしても面白かったなあ

冷めたヤツが番組でお宝が出たら

放送前にニュースでやるでしょ?とか

言ってたのを思い出しました

 

そーじゃないんだよなあ~

黄金が出なくても

何か変化が起きるかものワクワク感が楽しかったんだよなあw

もう今はワクワクするTVも映画も中々出会わないねえ

もう32年も経つんですねえ

 

以下 時々ヒマになると書き留めていたんで

話が前後しそうですけど宜しくお願いしますね

 

過去スレを読んでいるうちに

実際に埋蔵金を掘っている人は少なくても

埋蔵金の本から埋蔵場所を推理して

楽しんでいる人たちも多い事が分かってきました

 

埋蔵金ハンター達推奨の本が数冊ありまして

そのうちの一冊です

 

過去スレ当時は1万円ほどの中古価格だったようで

そんなのにゃ縁は無いなあと思ってたんですけど

どんな本なのかなあと気になってちょいと調べたら

 

2000円~8000円位で出品されていました

全体的に紙の古書価格は

下がっているのは知ってはいましたけどね

う~~~~ん

一番安いのが2000円かあ

手をだしてもいい値段だなあ・・・

状態は悪そうだけど読めりゃいいやと

3分くらいw

考えてポチリとクリックしちゃいましたw

 

直後に古書店さんから電話があって

出荷前に確認したら商品説明以外の事があったんですけど

お買い上げ宜しいですかとの確認をされました

(本扉に某社の贈呈印が押されていただけなんですけどね)

 

ページの欠損とか無いならお願いしますと答えたら

申し訳ないから200円値引きしますと

梱包された袋に100円玉が2枚入ってました

良心的なお店だなあw

後で調べたら

あたしの好きそうなラインナップが多そうなんで

またお願いしょうかなっとw

 

画像は無いです

糸井重里氏が番組放送時代に出された書籍

「あるとしか言えない」

赤城山徳川埋蔵金発掘と激闘の記録

 

書評では赤城の徳川埋蔵金について

一番信頼できる情報が詰まっているんだとか

読みたいなあ

最安値が2800円 他は5~7000円くらいでした

糸井氏は今でいうインフルエンサーですかね

当時氏の本は何冊も買っていたんで

多分うちの押入れにも埋蔵されているとは思うんで

未だ発掘できてないけど

お宝になったなあw

 

巨大掲示板のスレでは 赤城山の埋蔵金について

糸井さんのTV番組で掘ったデッカイ穴の所には埋蔵金が

無いと云う事が 確認されたという事で

赤城 榛名山 群馬県内に

黄金の埋蔵量は別にして

徳川埋蔵金が無いとは言い切れないとで共有してるみたい

 

現在の群馬では広大な農耕地がほとんどで

地権者の許可が取れない

要はお金でTV局レベルじゃないと

埋蔵地の予想がついても現実に発掘は無理なんだとか

 

埋蔵金特集は人気があるのか

年に数回TVや週刊誌の特集で時々見かけるけど

実際

徳川埋蔵金はそんな理由で掘れないのが現実なんだとか

 

そんなわけで

奥多摩の奥 山奥の武田の埋蔵金が

プライベートでも掘れるんでこちらの人気が高いようですね

もちろん山だって地権者がいる訳だけど

目立たないように こっそりと探している

埋蔵金ハンターはいるみたいですねえ

信玄没後450年も経っているのに

まだまだお宝が残っていそうてのが楽しいですねえ

 

さて あたしが一番興味を持った

武田の埋蔵金の話に入ります

関東の方ならなんとなく位置関係は分かりますよね

さて

金の歴史は縄文時代まで遡れるようで

最初は海岸にキラキラ光るモノがあるから

それが砂金だと分かり始めて

流れてくる川を遡るうちに

川底の砂金の量がどんどん増え

どんどん上流に登ると

最終的に最源流の山に突き当たると

そして山で金鉱山として山を掘り出すと

 

平安時代の頃から

現流域での砂金が大量に採れるようになって

黄金の国ジパングの頃の奥州とかは全て砂金だったそうです

川の流れに揉まれる内に不純物が外れ金の粒が独立します

砂金は比重が重いので川底に留まりやすいので

川底の岩盤に小さな穴をいくつも掘って

流下する砂金を溜める採集方が始まりで

今でも使える技法なんだとか

 

今でも埋蔵金とは一線をひいて

休日に奥多摩の源流域の小川に入り

のんびりと自然の中で

砂金をさらって一日を過ごしている人達もいるようですね

運が良ければ数粒の砂金が採れるんだとか

好い趣味だなあ

あたしもやってみたいねえ

 

富士霊異紀 昭和49年(1974)発行

 

あれこの作者さん・・・おんなじひとだ

見覚えがあるなあって押入れの古本を調べたら

2冊も出てきましたあw

この本は時々読み直したいなあと思う時があって

家の中を探しても見つからなくて

てっきり紛失したんだと思ってたんですね

数年前

中野ブロードウェイで見つけて喜んで買ったんですけど

今回探したら2冊でてきましたあ

ありがちですねえw

 

富士霊異紀

この本は開いてみたら1つの章に

富士山周辺の武田の金鉱山の跡地の研究が載ってました

当時から金鉱山集落の風習風俗とかを深く探索されていたんですね

 

「普段人の入らない山の金鉱跡地には

草に埋もれたヤブの中に

金精錬に使われた石臼がゴロゴロ放置されたまま」とかの

写真と記事を読んで行って見てみたいなあと

若いころ山歩きが好きだった時期に

富士五湖周辺の日帰りハイキングコースも良く歩いていたんで

金鉱跡で石臼とか茶碗とかを

見てみたいなあと印象に残っていたんですねえ

 

そんなことがあったからかな

少し前に釣りの帰りに

上野原市の かなやま金山資料館とかにも行ったんだよなあ

やっぱりそーゆーのが元々好きなんですねえw

 

本文中にも書いてあったけど

著者が石臼の話を公開した後

好事家やアンティークマニア界で噂が広がり

石臼が高価での取引ブームが起こって

今ではほとんど盗り去られたようですねえ

 

「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」の内容に戻ります

この本は買ってホント良かったですねえ

 

読んでるうちに 

あ~あたしゃ

埋蔵金の一攫千金話が好きなわけじゃなくって

古い金鉱山の洞窟とかの物語にロマンを感じていたんだなあと

続かなかったけど

横須賀の旧海軍の地下壕洞窟にも何度か潜ったしねw

穴がすきなんですねえw

 

当時金堀と言われていた金山衆というグループの話が

知らない事ばかりで面白かったですねえ

 

金山衆は本来 武田家の家臣ではなくって

独立した個人の金堀職人が集まった技能集団なんだとか

今でいう民間のゼネコン組織みたいで

武田氏の領地内で金を掘る代わりに

毎年採掘権のような上納金を現物で払っていたんだとか

年間採取の4割程だったかな

昔は金が採れる年採れない年がある訳で

金山衆は採れない年のために余分の金塊を

備蓄して隠していたものが山塊崩壊等他で

忘れ去られたものが

埋蔵金ハンターのねらい目の一つなんだとか

 

元々甲州では信玄の父

武田信虎の時代から金堀が主産業だったけど

武田信玄は戦で占領した土地から

美女や有用な人間をさらってきていて

特に土木工事や鉱脈を掘る技術を持った人間を

接収して連れてきたことがより金増産に拍車がかかり

採出した甲州金をふんだんに配り武将仲間を増やした事が

武田軍の領地拡大に繋がった始まりなんだとか

 

信玄の攻める領地は必ず金鉱のあるところばかりで

北条 今川とも金鉱のある土地の取り合いばかりで

普通の歴史の戦国時代のイメージが変わりましたねえ

歴史好きの方々には常識なんでしょうけど

まあ元々戦国時代の歴史はほとんど興味が無かったんでねえw

 

上杉謙信との対峙も佐渡の金山が目立てだっただろうと

黄金に魅入られた信玄公の性とまとめた

著者の最終的な考察がまじめに面白かったなあ

 

他にも驚いたのが

金山衆は土木のプロ集団だけではなく

武田時代から戦闘もできる人々達で

ムカデの旗印を立てて

信玄の戦闘には必ず参加していたとか

ただ 兵士ではなく

今でいう施設部隊の役割で

それが武田の強さの秘密の一つだったとか

 

人は石垣人は城とか有名なセリフがありましたけど

信玄は金鉱を求めての領土拡大の戦ばかりで

領民のことは一切気にかけず

疫病と飢餓でバタバタと人が減るばかり

戦国時代はどこもおんなじかもとは考えられるけど

甲州の人口減は特に酷かったようですね

甲斐はいずれ人が居なくなるであろうとの

書き物が残っているとか

戦国武将の人気が高いイメージだった

武田信玄の実態にはびっくりしましたねえ

甲斐のヒーローだと思ってましたけど

山梨のひと ごめんなさいね

 

本を読んでいるうちに

あれれ・・・

かなり前ですけど

信玄公ゆかりのお寺様に観光でお邪魔した時

よく言う霊障みたいなのに当たったんですよね

かなりはっきりと強い体調の悪化がおきて

以降お寺さんは怖いと思うようになって

有名観光地化されているお寺さんでも

極力避けるようになったんですよねえ

信玄公の時代にかなり無慈悲な事が行われたと

そのお寺さんの名前が出てきたときには

ゾッとしましたねえ

個人的な事ですんません

 

黒川金山の産出が減るに従い

信玄の息子 勝頼の頃には財政難で家臣も減り

武田家は没落し始めたようですね

 

そして武田家が滅亡した後

金山衆は各戦国大名をよく調べた結果

家康に近づき家康も金山衆を引き取り

 関東の徳川家の領地内となった山梨や静岡で働かせたんですね

家康の豊臣秀頼の大阪城攻めの時には

土木建築の高度な知識を使い敵城の石垣を効率的に壊したり

外部から地下トンネルを掘って城内の井戸を枯らしたりとかの

工事を行い大阪城落城の大功労者だったんだとか

 

江戸時代になっても徳川家の元で採掘を続けていたけど

山梨の金鉱で金が少なくなり採れなくなった後は

水戸光圀の日立や

佐渡の金山に移動した金山衆が多かったんだとか

知らなかったねえ

 

そういえば昔TVとかで諏訪湖の湖底に信玄公の棺発見!

とかのその後はどうなったんでしょうかねえ

湖底に沈む石の遺物は?とか

どうなったんでしょうかねえ

数年前に行った

諏訪大社上社本宮隣の法華寺横の公園に

武田信玄公の墓碑があったなあ

凄く小さくて本物とは・・・思えなかったけど

でも諏訪湖を見下ろすには敵地だし

湖底の石棺が本物だったのかもなあって

妄想が沸いたなあw

 

武田家が黒川鶏冠神社に奉納したと言われる

黄金の鏡の本物と偽物

 

今では登山者以外滅多に人も踏み入れない

奥深い山奥の黒川鶏冠山周辺に

当時は

黒川千軒と言われたほど多くの人々が住んで

金堀が行われていたそうですね

金鉱山で金を掘っていた金山衆が

へそくりとして家のそばの山中に隠したお宝が

金鉱山の近くには まだあるはずと

現代の埋蔵金ハンターは探しているみたいですねえ

 

元々気軽にドライブや釣りとかで

奥多摩 柳沢峠や丹波山村にはよく遊びに行ってたんで

土地勘が昔からあるんで

黒川金山の武田の埋蔵金話が一番ワクワクしましたねえ

 

巨大掲示板の埋蔵金スレを読むうちに

あれれ・・・もしかして?

数年前に丹波山村の黒川鶏冠神社の里宮様と

一ノ瀬キャンプ場 高橋集落周辺にお邪魔した時の

ブログ記事をかいたんですね

地味な話なのに なぜか今でも

月に2~3回以上のアクセスが続いているのを

不思議に思っていたんですけど

当時記事を書くときに調べた黒川鶏冠山周辺には

ほとんど情報が見当たらなくて困った記憶があるんで

登山の人たちが少ない情報の中であたしの記事を

見に来てるんだなあと思ってたんですけど

 

あ~ねえ~w

埋蔵金ハンターの人たちだったんですかねえw

金山衆を祖先に持つ高橋集落に引かれてきたんだなあ

 

近年 高橋集落での目撃例が出たからか

ニホンオオカミの再発見を押している丹波山村

何度も寄ってる道の駅で

ニホンオオカミグッズをけっこう買っちゃてるんですけど

ここが今では草に埋もれた無数の金山跡の穴と

埋蔵金伝説の里とは気づきませんでしたねえ

 

地図のポイントには赤のボールペンで丸く囲ってあって

本文にも線がいっぱい引かれていました

前の所有者さん

よっぽど研究されたんでしょうねえ

お宝を見つけたから古本屋さんに出したのかな?

 

埋蔵金ハンターのバイブルとされている

 日本の埋蔵金 畠山清行氏 著

から
高橋修二郎が発見した埋蔵金
明治40年ごろ

山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋付近にある

柳澤川と龍喰川の合流する花魁淵の近所で

東京都中央区日本橋小伝馬町でアサバ写真館を営む

『高橋修二郎」の滑落死体を

二ノ瀬に住む『宇沢某』がある秋の朝発見した
発見時の状況は

部落の連中以外にはめったに足を踏み入れない場所に

雨除けマントの帽子の部分だけが引きちぎられて

立木の下枝にひっかかっているのを発見し不審に思った
その場所から小半町(約50m)ほど離れた場所に

焚き木をした跡と鍋や缶詰を発見した

さらに4~5間(約9m)のところに

小さな天幕を発見し様子を伺い

鍋のふたを取って中を見ると雨水がたまっていたので

数日前から放置されていると確信した
そこで宇沢某はひょっとしたら

谷川へ水でもくみに行って淵に転落したのではないかと考え

谷川の降り口まで行ってみると

宇沢某の想像どおり

最初にみかけた帽子のマントの部分と思える黒い布が

崖の途中の木の根にひっかかっていた
宇沢某が谷川へ降りてみる転落する時に頭をぶつけたものとみえて

中年男(高橋修二郎)の見るも無残な屍体が横たわっていた

宇沢は身元を探すため屍体(高橋修二郎)の懐をあらめてみたが

これといって手がかりがなかったので天幕まで引き返してみた
天幕の中でカバンが置いてあるのを発見し中を見たところ

長さ7~8寸(21cm~24cm)の金塊を10本見つけた
何者かが埋めるか隠して置いた埋蔵金でも発見したかと思い

一緒にあった帳面にヒントが隠されているのではないかと思った
帳面を調べたところひどく雨にたたかれたせいか

文字の〇部分が読めない謎文が書かれていた


高橋○○○○○○○○○○に
腕の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川につ
いて下って三つ目の○の
ほらあなから入る

と書かれていた

 

修二郎の埋蔵金として

この話はTVでも放映されたとか有名な話のようですねえ

スレ内でもかなり考察の議論が盛り上がって

面白かったですねえ

最終的には創作ではないか?とはされてきたみたいですね

しかし 完全な創作ではなく

著者が実際の話を各方面に迷惑が掛からない様に

マイルドに表現したとの説も根強いんですねえ

 

なぜかというと

奥多摩には明治時代 青梅の豪商某氏が

埋蔵金を探しに何度も探索したとかの古文書が残っていたり

山奥で炭焼きをしていた木こりが

住居付近に金塊が当たり前のように転がっていたんで

金の価値を知らなかったという平八郎伝説

芥川龍之介がこの辺を旅をした折の日記に埋蔵金伝説の事を書いたりと

奥多摩には埋蔵金話が当たり前のように多かったでようですね

そのうち不確かな新情報も出てきたりして

宇沢某は修二郎を殺してお宝を奪った可能性も?

お宝を守る謎の修験者が出てきて修二郎を・・とか

妄想がたまりませんねええ

 

物語としては修二郎が残した金塊10本はほんの一部で

洞窟内でギッシリと詰まった埋蔵金を発見したらしいとの説も強く

残りの埋蔵金はまだ山中に眠っていると信じる人も多くて

丹波山で探している人たちが今でも確実にいるようですねえ

 

巨大掲示板の埋蔵金スレは基本的には過疎スレで

8割程のほとんどのコメントはつまらないんですけど

スレ主の埋蔵金ハンター氏さんが

頑張ってスレ落ちをさせないように

時々埋蔵金探しのよもやま話を書いてくれるんで

スレを追ってても飽きないんですが

 

年に1~二人位ですけど

突然訳知りの人が登場するんですよ

埋蔵金探索の研究者らしき人 

凄い知識を持った郷土史家らしき人とかね

修二郎の話から派生して武田家の埋蔵金に話が広がるなど

リアルな証言が出てきて

油断ができないんですよねえ

 

まあ~匿名掲示板なんで

創作かもを基本に置いといても

嘘だとは疑問を持てない渋いネタが面白いんですよ

廃村になった墓石のコケをタワシで落として

金山衆の名字で拉致されてきた出身地のルーツをまとめてる人とか

世の中には凄いひとがいるもんだなあと感心しちゃいましたねえ

 

青梅街道沿いにあった花魁淵も

数年前からバイパスが出来て旧道になって以来

立ち入りも出来なくなったんですよね

心霊スポットで有名でしたよねえw

 

金山の秘密を守るための

花魁淵の話も元々場所が違っていたようで

演台を落として花魁を口封じした悲しい伝説も創作話で

実際は切り殺した口伝が残っているそうですね

金山話から派生していろんな話が掘り起こされてきて

奥多摩の歴史は闇が深くて面白いですなあ

 

武田家では報奨金としての

甲州金をかなりの量をばらまいていたため

今でも旧家臣の家系や豪商等の家から

壁や天井床下から時々発見されてニュースになるんで

リアルなお宝なんですよねえ

また武田時代に確立された貨幣単位の基本が

徳川時代にも続いたとか

 

埋蔵金好きの間では有名なお話をいくつか

 

武田の埋蔵金?

昭和30年代?これはTVでもやってたとか

秩父方面で登山中二人の大学生が道に迷って遭難して

山中をさ迷ううちに小さな洞窟を発見

洞窟の奥には鎧兜と大きな木箱があった

中には金の棒がたくさんあったので

持てるだけリュックに詰めたが
遭難中の重くなったリュックは

体力的にきつくなって捨てることにした

その際に金棒1~2本をズボンのポケットに入れたけど
斜面を滑り落ちたりしている途中に

やはり無くしてしまったとのこと

友人はその後死亡したが一人は偶然地元人に出会い助かった

助かった後にその洞窟を探したけれど再訪はできなかった

黒部の財宝
佐々成政(さっさなりまさ)の埋蔵金

戦国時代豊臣方に付いていた富山の佐々成政が

家康側に乗り換える交渉のため土産の財宝を

家臣60数名で運んで決死の冬の立山越えをした

(上杉とは敵対していたため上杉領地内を移動できなかったから)

愛知での家康との交渉が決裂したのち

帰路財宝を立山に隠しながら戻ったとの話が残っている

 

いつもアメブロでお付き合いのある北陸方面の方に

この話を振ったら

佐々成政の財宝話は子供でも知ってますよお~とのお返事

地元では基本なんですねえw

掲示板ではそんな話題も出てこなかったから

秘密の話かと思っていたんで 笑ったなあ

掲示板のレスは万能じゃないんですねえw

 

立山の埋蔵金は

探し当てた話が多く残っているのが楽しいですよねえ

以下いくつかコピペしてみますね

 

この話が一番好きだなあ

昭和30年頃、黒部の山中を登山中の二人が歩いていると

谷の下の川から人が助けを求めているのに気が付いたそうです
マムシに噛まれたので病院まで連れて行って欲しいと言うことでした

その時にその人が持っていたリュックもお願いしますと言われたけど

リュックを持つとかなり重たかったのでこんな山道の細い所では

貴方一人を助けるのが限界ですと言い

雨合羽を近くの木にくくり付けておくので

回復したら貴方が取りに来たらいいと言うことで

リュックを石の下に置き下山となりました

リュックの中身は何ですかと訪ねたとき

ササガネが入っていますと言ったが

その時登山者達は鉱石か何かだと思って

あまり気に留めなかったそうです 
無事下山し病院まで連れて行ったが

それから何日かすると病院から連絡があり

マムシに噛まれた人が亡くなったとの電話だったそうです

それえから10数年以上が経ち

ササガネ=黒部の財宝という事を初めて知り

一度行っている所なので詳しく探せば見つかる思い

何度か山入りしたのですが地形や川が変わってしまい

発見出来なかったとか

 鍬崎山で昭和53年の夏の話

 某氏本家が某町で旅館をやっていた明治の中頃

宝探しをしていた静岡から来たという二人の男が数日間泊まった

宿を発つ朝二人は世話になったからと言って

「笹金」の刻印を押した

黄金判を一枚差し出した

主人は驚いて宿賃はきちんといただいているから

そんなものを受け取るわけにはまいりませんと固辞した

これは、某氏が子どもの頃よく聞かされた話である

 

明治43年から伝説で埋蔵金の事実を堅く信じ

毎夏黒部峡谷に足を踏み入れ岩を登り谷を渡って

埋宝探しに苦心していたこの間実に14年

筆舌につくせぬ惨苦のはてついに大正12年

夏黒部峡谷のとある盆地で

平石で蓋された洞穴を発見することができた

 内部を調べてみると

錆び朽ちた具足一領弓の折れたもの一張壺が一個あって

その壺には目くらむばかりの黄金がぎっしり詰っていた

この発見に力を得てさらに付近を探し回った末

伝説の七つの洞穴の中の4つまで発見することができた

某氏は立樹や岩石に目印をつけ

運び出す人々をたのむために下山した

そして富山へ帰ると早速親戚の中から

血気盛んなもの10人をえらび出し

それを伴って黒部峡谷に分け入った

ところが付けた目印が不完全だった上に

彼が下山した翌日にあった大暴風雨のため

その大部分は消え去っていて

なんとしても目的地へ再び辿り着くことができない

泣いても泣ききれない思いで一行は下山したが

某はついにそれが原因で発狂してしまったと

 

 

戦後立山で登山者が岩屋で武具 人骨と

壊れた甕を見つけたが財宝は無かったとか

 

立山でスキー遭難した某教師の話

昭和29年5月某教師が

生徒の春スキー合宿の引率責任者として参加
某教師はしんがりとなって下山中に行方不明となった

立山に6回も来ているとのことであったので安心して

メンバーは無事下山したが当夜までには宿に現れず

翌日12時間かかりで軌道道に降りたところで

教師が助けられたとのことでした

詳細を聞いたところ

某教師の衣服はボロボロであり

この時ビーバークした立岩の下の岩穴は

立岩で半分程ふさがれて居り

立岩の下の岩をのければビーバーク出来ると思い、

スキーでこじたところ簡単に動き穴があいた

岩穴は深く大きいものであった

 

内部は奥深く ものが多くおかれていた

人があまり入った形跡がないのに

入口には木片や甕のわれたものがあり

ライターの火のみでの探索なので奥は分からなかった

奥には何かが多く置いてある様に見えたが

木片はくさりしめっていたので焚き火にも出来ず

リュックサックに足を入れ一夜をすごした

夜が明けると奥を確認せずにすぐ下山を始めて助かった

(積雪期の岸壁の洞窟は無雪期の一般登山ができる位置から

はるか上の雪面上になるので

冬季間でしかその場所が再確認できない)

 

埋蔵金のストーリーの特徴として

偶然必然で一度は見つかったけど

再訪出来なかった話が多いんですよねえ

もしかして・・・

最後の一行に嘘が隠れているとも想像できますよねえ

見つけちゃった話は公開できませんもんねえw

 

最後にあちこちで見かけたコピペです

オリジナルさんご無礼します


日本の国土にどのくらいの埋蔵金が眠っているか色々な推計があるが

一説によると相当な額らしい「でも見つからないでしょフツーは」

と思われる方が一般的な感覚だろう しかし古銭商に知り合いがいたら

「へ~ぇ、そうなの」という話が聞ける 
どんな話かというと

定期的に小判などの古銭を売却に来る人達がいるのだそうだ

中には祖先からの遺産を売っている人もいるだろうが

「埋蔵金を掘り当てたな」と思う人が結構いるのだそうだ

なぜそう思うかという理由は

まず最初に古銭を売却に来た時は身なりがよくないのに

段々立派な服装になってくることや

最初は小額の古銭を売ってくるのに

なれてくると高額小判などを売却にくるようになるなど

共通の特徴があるそうだ
 
その割に埋蔵金の発見のニュースが少ないと感じる

それは日本の法律では発見された埋蔵金の扱いが「無主物」ではなく

「拾得物」になるため発見者は警察に届けて持ち主を捜さなければならない

数年あるいは数十年かけて埋蔵金を発見しても

自分の土地で自分の祖先のものでもない限り取り分は2割程度で

発掘に要した経費も認められないのでほとんどの人は黙っていることになる

 

面白すぎですよねえ

だから しばらくハマっちゃいましたあw

忘備録として書き始めましたけど

この辺で止めときますね

まだまだ書けなかった面白話もあるんですけどねえ

武田の話だけでも

スレをコピペしたメモを印刷しようと思ったら

100ページ超えそうなんで諦めましたあw

 

長々と失礼しましたm(__)m