台風一過、今日は秋分の日の3連休の初日で甲州街道からオナーズガーデン北烏山 のある松葉通りは中央高速道路高架下まで渋滞の列が続いておりました。また、お彼岸で烏山寺町 のある寺町通りも身動きできない程車が詰まっておりました。
さすがに東京都の計画事業である世田谷北部北烏山土地区画整理の保留地だけあってオナーズガーデン北烏山
は3区画あるうち一つがご契約済、残り2つもそれぞれご予約のお客様がご契約に向けてお打ち合わせの最終調整中、現在キャンセル待ちの状態との事。事情がありチラシや広告を出してなくネットだけでの告知にもかかわらずすごい数のお問合せ等盛況ぶりです。今後も同様な物件のみ扱っていくそうなのでそう言った物件をお望みの方は事前にご相談下さい
との事でした。
さて、千歳烏山は線路南の烏山神社が9月24日例大祭で駅周辺の商店街も賑わっておりました。前夜祭23日の今日は11:00宮出し三町連合神輿巡行。駅前の烏山区民センター
の広場では上町子供神輿と太鼓はやし巡行。今日明日16:00~素人のど自慢。お祭りにあやかるお店だけでなく氏子の民家の玄関先にも提灯がぶら下がります。
烏山神社は白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)を主祭神とする神社。由緒書には
一、主祭神 白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)
相殿祭神 御嶽大神(みたけのおおかみ)
合祀祭神 天照皇大神 菅原道真公倉稲魂命
(あまてらすすめのおおかみ すがわらのみちざねこう うかのみたまのみこと)
一、境内神社
招魂社(明治以降の戦没者)
稲荷社(倉稲魂命)
一、由緒
当社創立年代及び古代由緒沿革等は不詳であるが、古来烏山村の鎮守社は御嶽神社と伝えられ、江戸幕府の行った大検地の元禄検地帳に「白山権現社地 三反二畝二八歩(九九八坪)村持ち」とあり、江戸末期の嘉永三年(一八五○)に御嶽神社を白山権現地に遷宮合祀したとの記録もあり、古くから白山様として烏山はもとより近隣の鎮守として、広く信仰を集めている。
明治六年に村社となり、明治四○年には、神饌幣帛料供進指定社となる。
大正七年には本社殿、幣殿、拝殿、水含、北門鳥居等の大改修が行はれ、昭和七年白山御嶽神社の社号認可。昭和三十七年には町民氏子の大同協和をはかり、町内の神明社、天神社を合祀し、又従来の白山御嶽神社を烏山神社と改称する。
昭和三十九年、神楽殿増改築、昭和四十年、招魂神碑を建立し、社務所を新築する。
昭和五十七年、拝殿周囲を設備、同年上宿、中宿、下宿の神輿庫、祭器庫を新築し戦後の神社復興の奉証とした。
一、祭日
祈念祭 二月二十四日 歳旦祭 一月 一日
例大祭 九月二十四日 神明祭 三月十一日
新嘗祭 十一月二十四日 天神祭 四月二十五日
月次祭 毎月十五日 臨時祭 時機により行う
一、境内地 二三八六㎡(七二三坪)
とあります。
白山比咩大神は石川県の白山市にある白山比咩神社 を総本社総本宮とし石川、福井、岐阜の3県に跨る霊峰「白山」から全国に広がる「白き神々の座」白山信仰と、全国に鎮座する白山神社の事で、すなわち、生活と農耕に不可欠な命の水を供給してくれる神々の事で我が国においては二千年の歴史があります。古来より白は神聖な色であったことから、平安時代には「越のしらやま」は都人にとって憧憬の山として崇められていました。
神饌(しんせん)とは供物の事、幣帛(へいはく)とは神饌以外のもの、神への捧げる布の事。後に明治8年幣帛として布の他、金幣(紙に包んだ金銭)も含まれる事となり神社の例祭には国・皇室からから「幣帛料」という名前で金銭が贈られたが第2次大戦後は廃止され現在神社本庁
から「本庁幣」として献幣が行われています。
神輿は三町会のもので、それぞれ上町(かみまち)、中町(なかまち)、下町(しもまち)の3つ。宮出しには境内に集まりそれぞれ宮司がお祓いをして神様に御神輿にお遷りいただく「御霊入れの儀」が執り行われます。
11:30宮出し三基と山車は高張り提灯による先導に旧甲州街道を連合渡御、15:00頃烏山区民センター の広場、その後19:00頃迄町内を練り歩きます。
9月24日大祭当日は13:00頃烏山区民センター の広場を出発、同じく町内を練り歩き19:00頃広場へ戻って来ます。
烏山神社
世田谷区南烏山2-21-1
03-3308-9663