延命治療がはじまってから1年4か月で、彼女は他界した。ぼんやりと5年以内?などとは思っていたけど、早かった。

最初の抗がん剤は効果があり、腫瘍も小さくなった。やはり髪の毛は抜けたけど、本人もそれなりに効果を実感していたと思う。しかし3か月ほどで別の抗がん剤へ移行してからは、どれも効果なく、1年ほどで使える抗がん剤は尽きてしまった。そこから4か月で、彼女の生命活動を維持できるラインを、悪性腫瘍の成長が越えた。

これが現在、科学的に効果の証明されている癌治療の現実のひとつ。彼女は手遅れの状態からスタートしたので、発覚してすぐに摘出手術、再発予防の抗がん剤治療などを受けていれば今も生きていられた可能性は高い。癌で亡くなる有名人の報道も頻繁に目にする。一般人よりお金も人脈もあったはずのあの人たちでさえ、克服できないケース。逆に、克服してがん保険のCMに出演してる人もたくさんいる。ずいぶん医療は進歩したというイメージがあるけれど、人類は癌を克服できていない。その現実を受け入れられず、こうすれば治る、ああすれば治ると謳う癌ビジネス、健康ビジネスの被害者になってしまう人がたくさんいて、向こう側に引きずり込まれてしまったら脱け出せない沼がある。


彼女は抗がん剤治療を受け入れはしたけれど、あくまでも妥協してのことだった。お金を出せば、まだ効果のある治療法が存在すると信じていて、ぼくにはそれを前向きなこととして受けとめてあげることはできなかった。

残された時間で、子どもたちにできるだけたくさんのことを残して欲しかったし、ぼくにもぼくなりの彼女と共有しておきたいいくつかのことがあったけど、死ぬことを前提としたアクションに対して、はげしく嫌悪感をみせる彼女にぼくは何も言えなくなっていった。何もできなかったし、何もしなかった。一日の大半をソファーに座って腰や背中にマッサージ機をあてている彼女のそばで、ぼくは発売直後のスプラ3をやっていてS+50でカンストした後は放置した。最近娘からXマッチが解放されていると教えてもらっても、当時のようにゲームをやってる時間はない。いたって日常的に過ぎていた延命期間は、あっという間に終わった。


彼女から、受けてみたい治療法があるとうちあけられる度に、それについて調べ、その信憑性の低さに絶望的な気持ちになった。高額な治療費は賽銭箱に入れるつもりでOKしたけど、結局どれも検査段階まででその先に進むことはなかった。


彼女が乳がんを患っていて、治療をしていないと知った当初、癌について調べて状況を理解しようと書き出したノートにぼくは「彼女は不思議の国に迷い込んでしまった。そこから連れ戻す」「彼女は被害者、これを常に忘れない」「トライ&エラーを繰り返す」「議論しない、着地すべきゴールは自然療法を改心させることではなく、標準治療を受け入れられる状況を組み上げること」などと書いていて、いま読んでみても見当はずれではないなぁと思う。でも、何もできなかったという無力感、何をすべきだったのか?できることは何もなかったのかもしれない。亡くなる数日前でさえ入院先からぼくに、免疫療法を行っている関西の病院に治療を受け入れてもらえるか問い合わせてほしいとLINEがあった。「免疫チェックポイント阻害薬とエフェクターT細胞療法以外は効果が証明されていません」などとは言えずに曖昧な返事を返した。


癌という病気には「それ自体を正しく理解できない」という症状がある、そう考えると少しだけ救われる気がした。