彼女自身、もはや身体も気持ちも限界だったのだろう。やんわりと繰り返してきた病院へ行く提案に対して、前向きな言葉というか弱音のようなものが出はじめた。もし検査を受けてもらえたとして、転移していなければ、抗がん剤や放射線で腫瘍を小さくして、摘出できるかもしれない、治るかもしれない。そんな素人の考えに期待で上がるテンションを抑えて、この機会を逃してしまわないよう、慎重に言葉を選び、丁寧にゆっくり積み上げるように、彼女の希望にそって、診察へ行く段取りを進めた。


予約したその日は警報が出るほどの土砂降りで、彼女も歩行困難で、それでも絶対に連れて行かなければならないという使命感だったのだろうか、励ましながら抱えるようにして、大雨なのに不自然なくらい大勢の人が行き交う繁華街のビルの7階にある乳腺クリニックへどうにかたどりつくことができた。その小さな院内で先生の言葉少なく、鍵穴にさした鍵をゆっくりと回して進んでいくような問診は、状態の悪さと同時に、彼女のメンタルへの配慮も感じさせるもので、最初の検診がここであったなら、現状は違ったのかもと悔やまれた。静かに先生から治療の勧めがあり、ぼくも「治療してもらおう」という口添えをする、一呼吸おいて、彼女は頷いてくれた。


別の専門病院と何ターンかした検査の結果、市民病院へ緊急入院、失血状態が「もし瞬発的な怪我などの出血であればショック死だ」と言われた彼女は、輸血でまさに死の淵から脱したかのようにみえたし、根拠のない安堵感でぼくの気分は高揚していた。やっと先に進める、何かはわからないが、そのステージをひとつクリアできた気がしていた。


精密検査の結果、この先彼女が受ける治療は延命治療だと告げられた。完治はない。カウントダウンのタイマーが動き出した、もう止められない。ぼんやりさせることで、なんとなく目を逸らしてきたいくつかのことが、その一言で決定的なものになった。


状況は大きく変わったはずなのに、一週間後の退院の日、彼女の癌に対する考え方は、入院前と変わっていなかった。