大学生くらいに、ノートとペンだけでは不安が収まらなくて、書きたい欲求をブログに綴っていたけどやっぱりよくない結末しか思い浮かばなくて、良い想像をしなくちゃいけないのに、こんなこと書いてる自分が悪いんだ、自分さえ見て見ぬ振りすればいいんだ、と思っていた。
だから、苦しいことを綴って「だめだ」と思ったら次々サービスを乗り換えていた。
楽しいことを書かなくちゃいけないのに。
と。
でもやっぱりそれ自体が記録になっている。
証拠になっている。
嫌だけど、そんなの関係ないんだ。
気温の記録や降水量の記録と同じ
大規模な地震が起きるかも、の予兆や
今のままじゃ沢山の人が死ぬぞ!
という警告は
「やーだ縁起悪い!考えすぎよ!」
と言われても訴え続けなきゃいけなかったのと同じ。
起きてからじゃ遅いけど
起きてからも「大したことなかった」と
事実を誤魔化して逃避する。
その事実をつきつけても
「いまさら言われても!」と逃げる。
そういう人なんじゃないか
と予想ついていたけど
それも残さなきゃ。
じゃないとまた嘘つかれて広められる。
馬鹿が私に意味不明なアドバイスしてくる。