Homo vitae commodatus non donatus est.

人は生命を与えられたのではなく貸されたのだ



常に思ってることが載っていた。

私の人生ではあるんだけど

レンタカー借りてるようなものというか。


JAFや自動車工場(病院とか)は

あるけど、ある程度タイヤ交換とか

エコ運転とか使い方知りたいし…


動かしてはいるけど、どういうしくみで

動いてるのかよくわからない。


今後誰かが使うかもしれないし

誰かを乗せるかもしれないし


勝手に災のタネになるような傷を

つけて良いわけでもない。


いつか土に返さなきゃいけないし


私の身体が畑になって

他の人の人生が始まる事もあるし


他の人に対してもそうだから

汚染しそうな間違った事を投げ込みたくない。


だからめっさ考える。



Doctus in se semper divitias habet.

知者はみずからの中に富をもつ
※ 読み:「ドクトゥス・イン・セー・センペル・ディーウィティアース・ハベット」



知識や教育、経験は財産だ、ということかな。「知っている」それだけで全然違ってくることがあるよね。



fides credere quod nondum vides; cuius fidei merces est videre quod credis.

信仰とはあなたが見ないものを信じることである。信仰に対する報酬はあなたが何を信じているかを理解することなのだ。


例えば園芸にも料理にも片付けにも

「こうしたいなあ」があるとおもう

そういうのも信仰かな、と思う

健康てきな。


あとどこだかわすれたけど



哲学は思考を耕す


とあった。

本当そのとおり。

全然無駄だとおもわない。

「こんなときどうする?」はシミュレーションだし。


http://iso-labo.com/labo/words_of_LinguaLatina.html


面白いのでどんぞ。