ふう。

ちょっとまえ


私は淡水魚だけど
深海にほうりだされたので
なんとか自分のまわりだけ
淡水にしていきとるがな


みたいなたとえを
かきたくなった


あるいは
深海魚なのに金魚鉢にいるよ!
みたいな。

住めないよ!!!




おなじ、というか

うんうんそうそうどうしたらいいの?

ということが
あるレビューにかいてあった。


  と言って、うんー。自分自身は、そこに
  何て言うのかなエナジーを同化させてもいいのか、どうか。
  させてもいいのか?というようなね迷い。
  
 だから、要するに不釣り合いな所。
  ・・・こういう風な例え、どうでしょう

高山にある植物ありますよね。
  これ川辺に来たら枯れるんですね

逆に川辺にある、その木がね
  柳の木が高山にいたら枯れますよね。

  やっぱり、その人その人の
  居るべき場所っていうのは、やっぱあるんですよね。
  それが、いい悪いじゃなく、その人の特性、特質としてね。役柄として。
  
  だから、そういう意味で高山にある人が・・その
  どうしてもその川辺の、こう・・多く関わるという事には

  非常に、その危険度っていうか
  自分の、その魂の元気さのね、守り抜く危険度にね、関わってしまう・・。

  じゃあ、そこをどうしたらいいのか?
  どう上手に、使って行ったらいいのか、ていう事。

  そこで言えるのは『常に、自分自身は高山に置きながら
  川辺の事に関しても、関わっても、いいんだけれども』

  『だけど“常に、ここに置かなきゃいけない”
  という事を忘れなければいい』
  それを何か一番のメッセージとして言ってるんですね」 



人形みたいに、おもちゃみたいに

最終的にどこに自分をしまうか。

休ませるか。



私は自宅なんです。

そこに根っこ生えてる。


でも日に当てたりいろいろしないと

枯れてしまう。



だから

「閉じ込めるかあるいはでていけ」

なんてもうさいあく…