「ひきこもり」だった僕から
著者:上山和樹
出版社:講談社
ISBN:4-06-211072-5
定価:1,500円+税
「政治的問い」としての引きこもり
「AC」と「引きこもり」の分布図がどのくらい重なるものか分からないのだけど、私にも大学入ってACを自覚した直後、たしかに引きこもりの物理的条件をほぼそろえた「下宿の引きこもり」、つまり大学不登校だった時期がある。昨今では「ちゃんとした」会社づとめしてるプチ引きこもりだとか、主婦ヒッキーだとか、なんかあれもこれも「引きこもり」だったんじゃん!って、「引きこもり」という単語が出てきて以来、皆が気づきはじめているような気がするのだ。物理的な程度のスケールは色々あるけれど、ひとつの「精神のあり方」としての「引きこもり」という状態に。
本書の著者はそれを「政治的問いかけ」という言葉で表現している。「ここまでしないと許してもらえないのか」という、「現実」「社会適応」に対する恐怖に近いイメージ。引きこもりを「いいご身分でございますわねぇ」的な猫撫で声でもって横目で見ている人々。「できれば社会なんかに出て行きたくない」という彼ら自身の願望を端無くも体現してしまっているのが引きこもりなのだ。「許してもらえる」まで自己をたたきつぶして社会の「それなりの居場所」にもぐり込むことが果たして「社会参加」なのか、という著者の問いは、森鴎外『青年』の一節を思い起こさせる。
――いったい、日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一生懸命にこの学生時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にありつくと、その職業をなし遂げてしまおうとする。その先に生活があると思うのである。そしてその先に生活はないのである。現在は過去と未来の間に画した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。――
インターネットを通じての出会いをきっかけに、著者は家を出て塾講師のアルバイト代月7万強で友人と借家暮しを始める。社会参加とは、それなりの居場所にもぐり込む“カイシャ参加”のことではなかった。それは世界に対して自己の立場を表明し具体的に取り組んでゆく「政治的デビュー」であり、親の目や社会的アリバイを超えた一個人としての「精神の肉体関係」でなければならなかった。そして友人と始めた地域通貨立ち上げのプロジェクトや、引きこもりの親の会などでの活動が、著者自身の「政治的デビュー」となってゆく。
好きな人ができて同棲し始めたりして、引きこもり状態から脱け出していく人は多いが、「精神の肉体関係」は含蓄の深い言葉だなと思った。性関係に限らずさまざまな分野で、社会的アリバイとしてでもなく、子供部屋のお客様としてでもなく、一個人としてのプライベートな領分で(仕事ではない、という意味じゃなく、仕事であったとしても、精神的に親や権威に立ち入らせないという意味で)「何か強く惹かれるもの」との出会いがあること。おそらく、それが精神的に家から離れていくことのカギなのだ。
ACにとっても、物理的な引きこもりの要件を満たしていない「精神の引きこもり」にとっても、学ぶところの多い一冊だと思う。
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読むのが恥ずかしい単語があるが笑
高校生の時はこのくらい真剣だった。色々に。
人間関係も真剣だった。
真剣だったのでまるで文学にでてきそうな友達付き合いだった。
「ご学友」みたいな。
わーかくらあかるいうたごえにー
てきな。
本当にすきなものや本当にすきなことを、自分の身体の外に打ち出していくのは、こわい。
打ち出したはよいものの、
それがすきじゃなくなっていく
のも、こわい。
(某バンドがだいすきだったのに嫌いになってしまいわけわからんくなって苦痛でライブも行きたくなくて
ずっと違うコーラスグループの歌ばっかり聞いて自分を慰めてたという
苦い思い出からかたっています…笑)
私はこの時ブカツが大好きでした。
ブカツを愛していました。
ブカツが恋人でした。筋トレ精神トレ
瞑想、禅、たのまれてないのに指導者要網を読み込んでいました。
高校三年間はまさに、上の言葉を借りるなら、ブカツとの結婚生活といってもよかったでしょう!
(なにいってんの?位に読んで下さい)
しかし私は期間限定のパートナーであるため、引退、卒業しなくてはならない。私は入学する前からいつかくる引退に怯えていた。
どうでもいいけどCMです
iMoneyFlowというアプリがすてきなの
アイコンと背景かえられるの
べりーないす。
