困った人を助けたい、というのは自分が救われたいからなのかなと思った。

かける言葉やすることも
自分が言われたいこと。
されたいこと。

コンプレックス持ってるのは知ってる。それを能力あるいは「色」だと思ってる。

私はお姉ちゃんだから、とか。
皆のお手本にならなきゃとか。
私が今離れたらこの子はどうなってしまうんだろうとか。

やっと一通り手を離れたような感じ。

もう義理の繋がりのために自分を押し込めなくてよい。それで自分を「協調性がない」などと悩まなくてよい。

もう疲れた。

ほんとに、ためすために繰り返しひっかかりのあるシチュエーションを選んで苦しんで修行してるつもりになってたなぁ。

若い時の苦労は「見る」「知る」だけでいいかも。そこで邪魔されないように。

やっと少しだけ前向きになってきたかなぁ。