どう、かなりゲレンデが広がってきましたネ

 

今日も最高気温はマイナス!、降雪機の雪でこんなことに。

 

 

朝一の初心者ゲレンデのリフト降り場の風景、午後から雪がチラホラ。

っと、ほぼ一日滑ったとさ。

 

 

 

バスでスキー場通いのオイラ、バスターミナル界隈の

もう一つの草津温泉の歴史第2回目。

 

工事中の建物は瑠璃の湯、左に見える信号はバスターミナルです。

 

この付近で明治2年4月に発生した草津大火は後の草津温泉に大きな

影響を与えた。地形の関係で地蔵区の一部を除き草津温泉を焼き尽くした

大火災であった。

あまりに寒い草津温泉、当時はその寒い時期は標高の低い場所で暮らしていた、

その生活を冬住みと呼んでいた。

 

その後

復興のため今で言うパンフレットを作り、その一文に”癩病にも効能あり”

が加わっていた。

このパンフレットはどういう経路で全国に、さらに世界に届いたのかは

さだかではないが国内外から癩病患者が訪れるようになった。

長期逗留の病者で潤った草津温泉であったが、一部このことが

草津温泉の発展を妨げると思う人間も出てきた。

 

 

        この結果が

 

世界でも類を見ない行政が認めた癩病患者専用集落

 

       湯之沢が誕生

 

       その後、法律が出来て

 

   国立療養所栗生楽泉園の誕生となったのです。

 

     ハンセン病者はナンヤカンヤと翻弄され続けたのですね

 

 

   ※現在 癩病 という言葉はハンセン病と呼んでますが

    法律、医学、当時を表す言葉として使われています、

    今回はその時代の表現として 癩病 という言葉を

    使わせていただきました、ご了承ください。

 

 

    

    あれーーー、スノーボードブログから方向が変わってきたのかな?