避暑地”軽井沢”と名湯”草津温泉”との交通機関として

大正から昭和まで存在していた

草軽電鉄の「高原列車」があった。

 

当時の草津温泉には多くのハンセン病者が湯治にに来ていた

彼らは一縷の望みをかけて、草津温泉に行けると喜んだ

 

しかし、彼等に待っていたのは、病者であるため乗車拒否

だった。

 

 

残念ながら

高原に吹く風は彼等には逆風だった

 

そんな高原列車に翻弄されたハンセン病者のことを年表に並べてみた

この電鉄会社は幾多の社名変更があったがこの文書では”草軽電鉄”で統一しております。

 

(参考資料:風雪の紋、草軽電鉄の詩、草軽電鉄のブログ、MKさん)

 

 

年表の紹介です

表紙です

 

 

A4横で

 

後にハンセン病者専用列車となったホヘ19も画像一覧表を添えて

(このホヘ19も軽井沢ー草津温泉間を全部走行したわけではない、まさに偏見である)

 

 

この年表に、その当時乗ったハンセン病関係者も載せたかったが

詳細がわからない、いずれは調べて記載したいと思います

 

 

 

                                        笑い泣きびっくりプンプンニヤリ口笛ムキーえーんガーン

 

この時期農業が忙しいオイラなんだけど

草津温泉は朝から雪が降ってる?舞っている?

 

ホ~ラ雪が

 

あら? 雪と桜かいね

 

雪でよく見えない草津白根山と薄く見えるホテル

というわけで農業はお休みでした!