三成の聖地、関ヶ原に行ってきました❗️


大学のレポート山積み問題に直面中、にも関わらずです😊

ブログも全く更新できていない、にも関わらずです😊

だって、関ヶ原は、別格ですもの✨✨

関ヶ原駅前です。三成愛を感じますね💖


駅前にある交流館も三成愛に溢れています💕


交流館の前には、家康と並んでる看板も。

今年は大河ドラマの主役だから、家康、人気ありますか? と交流館の方に尋ねると、いや、やはり三成の方が、とのこと。嬉しい❣️❣️❣️

やはり、三成の聖地ですね💖


2度目の関ヶ原。

イベント中は混むからゆっくり回れないだろうと、イベント前日を選んで・・・。


そしたら、なんと、笹尾山(三成の陣跡)が立入禁止になっていました。ガーン😨


前に行ったことあるしと、ここは気を取り直して、次に目指したのは、三成の盟友、大谷吉継のお墓と陣跡です。


この前のブログで紹介した三成本の名著、『石田三成の微笑』に書かれていて、是非、行きたいと思っていたところです。



御本は、フォローさせていただいている列伝さまが、中学校の校長先生をされていたときに書かれたものです。生徒を前に三成愛の熱弁をふるわれる先生の教え子のなんと幸せなことか❣️


関ヶ原に行く人は多くても、あまり大谷吉継の陣跡&お墓に行く人はいないらしく、御本には、その様子も書かれているので、とても参考になりました。



まず、ふもとで看板を発見。遊歩道の脇に車一台分のスペースがあり、そこに車を停めて、山(小高い丘)を登ります。


辺りはちょっと鬱蒼としており、私と夫しか歩いていないので、ちょっと不安な気持ちになりましたが、御本にも書いてあった通り、15分程で到着しました。



正面の五輪塔を挟んで、向かって右側が大谷吉継のお墓です。左側は、介錯をした家臣の湯浅五助のお墓です。


アップ写真がこちらです。

ちなみに、吉継は関ヶ原直前に、吉隆と改名したそうで、墓銘も、吉隆になっています。


家臣の湯浅五助のお墓がコチラ。



湯浅五助の方が大きくて立派なのが不思議だな、と思っていたら、五助のお墓は、大正5年(1916)年に湯浅家によって建てられたものだとか。



介錯した五助は、吉継の首を隠した直後に、敵方の藤堂高刑(高虎の甥)に出くわしてしまい、吉継の首の在処を内緒にしてほしいと願い出て、自らの首を差し出したそうです。


藤堂高刑はその約束を守り、家康に詰問されても答えなかったとか。さらに、その藤堂家によって

吉継のお墓が建立されたそうです。(藤堂さん、エライ)


そこから反対方向に歩くこと7.8分。吉継の陣跡に到着です。



ここで、松尾山に布陣し寝返った小早川秀秋に打って出たのだと思うと、胸が熱くなります✨



ちょっと先に進んだところに、松尾山眺望地がありました。




正面の山が松尾山です。

あそこに小早川が布陣したのか・・・。

アップしてみます。



小早川の寝返りさえなければ、と松尾山を前に思わざるを得ません。悔しい・・・。


しかし、嬉しいことに、ここでは、今も、吉継が松尾山に睨みを効かせていました✨✨✨


ありがたいですね❣️


石田三成を巡る旅、まだまだ続きます。

(でも、冒頭に書いた通り、ただいまレポート山積み問題に直面中なので、またしばらく間が開きそう・・・💦)