大谷吉継研究の第一人者 外岡慎一郎先生(奈良大学教授)の講演会『吉継cafe〜吉継年表が更新サレマシタ〜』に行って来ました。

講演者の外岡先生は、昨年、私の卒論を指導してくださった先生です。卒論テーマの石田三成と、先生の研究対象の大谷吉継は、ご存じのとおりの盟友。ということもあり、どうしても、先生の講演を聞きたくて、行ってまいりました。


場所は、福井県敦賀市。訪れるのは初めてです。

日本海の海風にあたりながら、近くにそびえる山々を見ると、頂には雪が。寒がりでスキーもしない私にとって、敦賀の冬景色はとても新鮮でした。


『吉継cafe』は、平成18年から始まった連続講座。今回で20回目になる人気講座です。ただし、最近はちょっと専門的すぎて、参加された方からは[少し難しい]という感想が寄せられたこともあったとか。


そこで、20回目の節目に当たる今回は、今までのおさらいを兼ねて、[吉継年表]を振り返り、新しい史料の紹介とともに、年表を更新するというもの。研究者としての意気込みを感じる内容でした。


大谷吉継が史料に初めて現れるのは、1578年。関ケ原合戦の22年前になります。ちなみにこの段階では、三成はまだ史料上には現れていないそう。

今回、先生が新たに発表された史料は5つ。そのうち、主な2つを紹介します。


①1583年8月30日付の秀吉の書状

秀吉が、播磨国内に200石の領地を吉継に与えたことが記されたものです。これは、敦賀領主となる前の吉継の分際を考える重要な情報だとか。


②狩野探幽の『聚楽第行幸図屏風縮模』

今回、この屏風絵に吉継が描かれているのを発見したとのこと。そのことは、1588年4月に行われた、後陽成天皇の聚楽第行幸に、吉継が参列していたことの裏付けになるそう。ちなみに、この屏風絵には、三成の姿も、もちろん描かれています。


他にも、③1587年3月に秀吉に従って吉継が九州に行ったことが記された書状や、④1600年5月18日付の徳川秀忠書状には、上杉景勝が上洛を承諾していたこと、⑤1600年10月7日付の池田輝政書状では、関ケ原合戦の前夜に、吉継の陣所を訪れたことなどが記されていること、などのお話をたっぷりと伺いました。


20回目は、ゴールではなく、折り返し地点?とおっしゃる先生。来年は、また、新しいテーマを持ってきてくださるとも。楽しみです💕


講演後は、先生がホールの出口に出てきてくださり、直接、お話しをしたい参加者の列ができていました。もちろん、私も並びました。

お人柄も優しくて、とても尊敬できる先生です。


最近は、歴史番組にもよく出演されていらっしゃる外岡先生。ますますのご活躍が楽しみです✨