卒論計画書は合格したものの、なかなか卒論作成には着手できていない状況です。💦
実はその間に、テキスト科目の「書誌学」のレポートを仕上げておりました。

この「書誌学」に結構、ハマってしまって・・・。
だって知らなかったことが、たくさんテキストに書いてあるんですもの。✨
その中でも、一番ビックリしたが、次の文です。
(最初だけちょっと硬い文ですがご容赦を)
「活字印刷のわが国への伝来は、実に、文禄・慶長の役(文禄の役は文禄元年<1592>豊臣秀吉の朝鮮侵攻。慶長の役は慶長2年<1597>正月再び侵攻、翌3年12月に撤兵した)で、秀吉の武将小西行長、加藤清正などが書物や工人とともに略奪してきたのに始まる」(『日本書誌学を学ぶ人のために』、廣庭基介/長友千代治、世界思想社、2015年)
えっ、略奪???😱
知らなかった・・・。
秀吉の無謀ともいわれる朝鮮出兵。
秀吉の死により終わりを告げるのですが、作戦や撤退処理をめぐって石田三成と加藤清正らの間の確執が決定的なものとなり、それが、関ヶ原合戦で敵対することにつながっていく・・・。
という筋書きは有名ですが、「活字の略奪」については、全く知りませんでした。🙄
数々の大河ドラマをみてきましたが、それに触れているものを見た記憶がありません。
ちなみに、日本には、一足先に宣教師たちによる「きりしたん版」による活字印刷が伝わっていたのですが、キリスト教の禁圧令により、20年程で発行禁止となり、その技術は定着しなかったといわれています。
つまり、日本で活字を定着させたのは、「朝鮮からの略奪による活字」だということになります。
しかし、この活字も50年間で衰退してしまいます。その理由は、出版が盛んになり、読者層が拡大し、出版業が成立したためだとされています。
活字はそれまでの整版に比べ、安価で印刷できるため、徳川家康や豊臣秀頼などの政治家、寺院、医者、民間人など多くの人がこぞって出版に参加したそう。
上杉景勝の家臣 直江兼続の『直江版』というのもあります。家臣なのに、スゴイですね❗️😲
漢文や仏典などの難しい本だけでなく、古典文学や娯楽本なども盛んに出版されるようになったことで、読者層が一気に広がったそうです。
それまで、『源氏物語』『伊勢物語』などの古典を読む人はごく一部の人に限られていたのに、一般庶民も読めるようになった意義は大きいですよね。✨
そして、本を買って読む人が増えたおかげで、小規模出版向きの活字印刷では、需要に追いつくことができなくなってしまい、たくさん出版できる整版印刷にとってかわられてしまいます。
実は、整版印刷は活字が伝来する前から行われていたのですが、費用がかかるのが難点でした。
そこで、安価な活字印刷が主流になったものの、読者層が増えたことで、ビジネスとしての出版業が成り立つことになり、、再び整版印刷へと戻ったというわけです。
なんだか皮肉な話ですね。😓
ところが、この活字印刷(「古活字版」と呼ばれています)は、50年間で衰退したものの、日本人の文化水準を向上させ、出版業を成立させるなど、後世に多大な影響を与えたといわれていて、その意義は絶大だそうです。(大学のレポートの課題にもなっていますし😅)
と、そんなこんなのレポートを作成したり(もっとちゃんと真面目に作成しています😆)、そこで、興味をもった「印刷博物館」(東京都文京区)にも行ったりして、ますます、卒論研究からは、遠ざかってしまっている現実💦
でも、ふと思ったのですが、小西行長・加藤清正らが、朝鮮から活字を略奪して、秀吉に渡した際、石田三成は、一体どうしていたのでしょうか?
文知派といわれる三成が、この新しい活字に興味を示さなかったとは思えないのですが・・・。
これも、研究材料になるかも❓🙄
次回は、印刷博物館の様子をお伝えいたしますね🤗
