石田三成の城だった、佐和山城。
関ヶ原合戦のあと、敵方の井伊家が入城したものの、すぐ近くに彦根城を築いたため、佐和山城は廃城に。そして、徳川方により、跡形もなく破壊されたと伝わっています。
あわれなるかな、佐和山城。
(ちょっと時代劇風〜)
『三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城』
という、有名な言葉があります。
(教科書では習わないけれど、三成を語るには、外せないものですね!)
三成には、もったいくらい優れているのが、家臣の島左近と三成の居城である佐和山城という意味です。当時、城壁にそのような落書きをされたという話が、史料に残っています。
三成にはもったいない、とは聞き捨てなりませんが。
優れた人物だからこそ、優れた人が集まり、優れた城ができたのだと、私は思っています!!
前置きが、だいぶ長くなりましたが、
その佐和山城跡へ登ってまいりました。
噂には聞いていましたが、結構、ハードな山でした。さすがは三成!と感心しながら、そして息もあがりながら、頂上を目指しました。
途中には、土塁や瓦の残骸がありました。
一体、佐和山城はどんな姿をしていたのだろう、と想像がふくらみます。
城の全容などは、まだまだわかっていないことが多く、これから、調査が進められるそうです。
眼下に広がる琵琶湖。
はるか遠くの時代から、私達を出迎えてくれているかのようです。
景色の美しさもさることながら、
ここに三成の城があったこと、
三成がここにいたこと、
三成がいた場所で、
三成が見ただろう景色を思い描くという、
まさに、ここでしか味わえない、極上の幸せを実感。
また、来るからね、と三成に約束し、佐和山を降りました。
ふもとには、龍潭寺というお寺があります。
ここには、三成の人柄を表す有名な〈板戸〉が展示されています。佐和山城で、三成が使用していたとされるものです。
お客様をもてなす表側は、金箔を用いた豪華な絵で飾り、裏側は自分用に墨絵で、質素にしていたとされる板戸。(金箔は今はもう剥がれてしまっています)
裏側は非公開なので、残念ながら確認することはできませんでした。
この板戸を前に、裏側を想像する。これも楽しみの一つです。
この板戸から、三成の合理的な面や質実剛健な性格が伝わってきますね。(裏表、金ピカにするより、品があり、誠実な気がしませんか?)
その他にも、龍潭寺には、三成の肖像や自詠とされる短冊なども残されています。
三成の魂は、今でも佐和山城にそのまま座っているかのようです。











