昨年11・12月の老舗散歩は、浅草で2つの伝統行事を楽しみました。
鳳神社の「酉の市」と浅草寺の「羽子板市」です。
そこで買い求めた<熊手>と<羽子板>がこちら。
どちらも最もチープなものですが、今年の年賀状に採用するほどのお気に入りです。
「酉の市」は11月の酉の日に、主に関東の鳳神社(大鳥神社)で開催される年中行事。
福をかき込むという縁起物の<熊手>を求め、毎年多くの参拝客で賑わいます。
商売繁盛の御利益もあるそうで、商売をしている人は、毎年、少しずつ大きなものに買い替えていくのだとか。
数ある酉の市の中でも一番盛大なのが、浅草の鳳神社。
それは、江戸時代に遊郭<吉原>が近くにあったからだとされています。
現在、吉原という地名はないのですが、町の区画は当時のまま残っていると聞き、訪ねてみました。
まずは、吉原の入り口、「大門」(おおもん)へ。
当時は吉原全体が塀で囲まれていたため、入り口はこの1か所のみ。今は、どこからでも通り抜けできます。
また、当時はこれとは別にふだんは閉じられている裏門があり、唯一、酉の市のときだけ開放されたそうです。
廓以外への外出を禁じられていた遊女たちも、その日だけは客とともに酉の市へ行くことが許されたとか。
大門をくぐり、しばらく行くと右手に見えてくるのが吉原神社。
吉原にまつられていた5つの稲荷神社を合祀して建てられた神社です。
そこで、思わず足を止めてしまうほど、すてきな看板と細長い木を見つけました。
恋焦がれている人に初めて会う、という意味の「逢初桜」(あいぞめさくら)です。
200年前に吉原神社の御神木とされていたものの、明治44年の大火で焼失。それが100年ぶりに復活したとのこと。
最近、吉原神社が女性のスピリチュアルスポットとして、人気があるというのもうなずけますね。
また、境内には「吉原今昔図」が掲示されていて、吉原の移り変わりを知ることができます。
(ここで手に入れた『吉原今昔細見』については、次のブログで紹介します。)
さらに先へ進むと、「吉原弁財天」が見えてきます。
目を奪われるほど鮮やかな色彩の弁天堂ですが、ここで起こった悲しい出来事を慰めているようにも感じられます。
関東大震災のとき、火災が起きても門をしめられたままで、逃げることができなかった吉原の遊女たち。
その魂を供養するために建てられたのが「吉原観音」です。
遊女たちが火から逃れるために飛び込んだとされる弁天池は、現在、縮小されて錦鯉が泳ぐ癒しのスポットとなっています。
他にも、安政の大地震(1855年)で亡くなった遊女たちが多く投げ込まれたという「浄閑寺」が、東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅近くにあり、通称「投込寺」と呼ばれています。
悲しい歴史から、目をそらさずに現地を訪れることが、亡くなった人たちへの供養になるような気がしませんか。
ちょっとしめっぽくなってしまいしましたが。
そういえば、三ノ輪駅から「大門」へ向かう途中には、こんな楽しい像も見つけました。
孤独ながらも、ボクシングに打ち込んだ「あしたのジョー」。その姿に勇気づけられますね。
なお、今回は老舗巡りは、なしです。(酉の市で混んでいて入れませんでした~。残念!)
次回は、羽子板市です。こちらもよろしくお願いいたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。










