ご無沙汰しております。
決めた訳ではないけど、約半年に1回ペースのゆるーい更新になってます
昨日、母の四十九日法要を終えました。
3年前の父の時もそのタイミングで書いたので、
書かないと不公平になりますからね…
4月8日午前2時に旅立った母。
父が2020年の4月7日だったのでほぼ同じ。
危篤状態になった時、もしかしたら同じ日かも、、
凄い偶然にとても驚いたものです。
農家の一人娘で、生まれながらに跡取りになる宿命だった母。同級生の父と出会い、父が婿養子になりました。農業は朝から晩まで一緒。
親戚が口々に言うほど両親は仲良しでした。それで命日まで合わせたのかな。
もっといい写真あるでしょって言われそうですが、一生懸命畑で働いて育ててくれたこの姿は、私にとって誇らしいものなので、あえてこの写真を。
人にとても気を遣う優しい人でしたから、子どもや孫が遠方からも勢揃いできるように金曜の深夜にしたのかな。最期までみんなの事考えて、、なんて思いました。
認知症は結構前から、その後心筋梗塞と脳梗塞のダブルパンチで、半身麻痺、言葉も出なくなりました。
ずっと寝てるだけで何の楽しみもないのに、私たちが面会に行くと、ニコニコニコニコ笑っていました。こんな状況でも笑顔を見せる母は、ある意味なんて強いんだろうと思っていました。でも最近ではそれもなく、私たちのことも認識できていたのかは…??
私は関東に住んでいるため、介護は兄に任せっきり。年に数回しか会えないのが心苦しかった。
昨年11月に高熱が出て入院してからは、だんだん流動食も食べられなくなり、点滴だけが頼り。
その点滴を差す血管も乏しくなったと主治医にいわれ、もう時間の問題
それでも持ち前の生命力でよく頑張りました。先生もお母さんは強いですね!と。
最後、私が亡くなる数時間前に駆けつけた時は、奇跡的に血圧が持ち直し、しっかり目を開けて見てくれました。まさに私の帰りを待っていたかのように。間に合って本当に良かった。
関東に私が嫁いでからは、帰省する度たくさんの料理でもてなしてくれた母。5人の孫たちにも惜しみない愛情を注いでくれました。
ずっと田舎暮らしだったこともあり、いい意味で、すごく純粋で、可愛くて、よく笑っておしゃべり好きな元気いっぱいの人でした。そしてほんとに働き者!熊本弁では ”がまだしもん”といいます
晩年は色々大変でしたが、今は、父や祖母と仲良く穏やかに天国で楽しくおしゃべりしながら暮らしているかな。と想像しています。
四十九日を過ぎると、人は仏様になるそうです。
ひとつの区切りですね。
今まで沢山の愛情をありがとう、お母さん。
できる限りお墓に逢いに行くからね。
どうかどうか安らかに。ゆっくり休んでください。