サザエさん―シルバ(25)

 

電信柱によじ登って写真を撮ってはいけません。そんな危険なことを許さないお年寄りに水を浴びせられますよ!

 

朝日文庫版36巻〔9頁〕・昭和42年

『遠くの会場で、沢山の会葬者が並んだ国葬が行われています。その会場から遠く離れた道路にある電信柱に登り、電信柱にしがみついて、マスオさんが一眼レフカメラを構えて、「国葬のもようをキネンにとっておこう」と言いながら、遠くの国葬の様子を撮影しています』

『すると、マスオさんが、しがみ付いている電信柱の下に、ベレー帽を被り、着物を着たオジイサンが、煙草をふかしながらやって来て、「そんな高いところであぶないからよせ」と叱りつけました』

『マスオさんが、無視してカメラを構えていると、オジイサンは、持っていた水筒の水を、蓋に入れ、「よせといったらよさんか!」と怒鳴りながら、マスオさんを目がけて、水を浴びせました』

『マスオさんは、水を浴び、びしょ濡れになり、「庶民のなかにも吉田さんありか!」と感心しながら、電信柱を降りています』

 

昭和20年代後半に吉田茂というワンマン総理がいました。 今の副大臣である麻生太郎は、孫にあたるそうです。何となく似ています。ただし、口は斜めになっていませんでした。薄く真っすぐな横一文字の口でした。そのキリリとした顔は、頑固一徹、信念の人だったと思い出されます。吉田は、1952年(昭和27年)に京都での演説会に参加した際、カメラマンのしつこい写真撮影に激怒し、カメラマンにコップの水を浴びせて、「人間の尊厳を知らないか」と大見得を切り、会場の拍手を浴びたせたことが有名だそうです。

マスオさんが、電信柱にしがみ付いて写真を撮っていた国葬は、どなたの葬儀だったのでしょう。天皇、皇族以外でも、国家に功績ある臣下が死去した場合は天皇の特旨により国葬が行われたそうで、戦後の国葬は1967に死去した吉田茂の例が唯一であるということです。

ですから、マスオさんが写真を撮っていた国葬は、吉田茂氏の葬儀だったのでしょう。

遠くからも見える長蛇の列の会葬者、そんな盛大な吉田氏の国葬が執り行われていたことは知りませんでした。

そんな国葬の模様を電信柱によじ登って、写真を撮っている危険な男・マスオさんを、シッカリと叱りつける、厳格なオジイサンが、町の中にもいたのです。

しかも,マスオさんを叱りつけた上に、持っていた水筒の水を浴びせました。浴びせられた途端に、マスオさんは、吉田茂のようなオジイサンが、ここにもいたのだと感動し、頭から水を垂らしながら電信柱を降りたのでしょう。