サザエさんにみる昭和(28)
昭和43年から44年にかけて、東大紛争が続き、この頃、学生運動が盛んでした。
丁度、その頃、日本橋の三越の近くにあった本社に勤めていました。
社宅から会社まで井の頭線、地下鉄銀座線で通勤していました、山手線も利用していました。
学生運動盛んな頃、線路に敷かれていた砂利が学生の投石に使われ、危険だと言うことで、突然、砂利がセメントで固められてしまいました。
砂利を拾って投げることは出来ません。
学生運動の中でも、東大紛争は、東大の安田講堂を中心に激しい攻防が展開されたようです。
この頃、日本橋の三越の直ぐ傍にあった本社に勤めていましたが、日本で初めて、霞が関に建設された36階の高層ビルに移転しました。
この移転に際して、荷づくり、運搬などの作業に汗を流しました。
当時、高層のビジネスビルの中に通勤するのを、誇らしく思ったことを思い出します。
学生運動も、次第に鎮まり、その後、会社にも、学生運動の当事者たちが入社してきたものでした。
この頃、以下のような「サザエさん」がありました。
朝日文庫版サザエさん(37)・昭和43年
『永久寺との表札が取りつけられたお寺の門に続く塀に、[うんてんのできる学生アルバイト求む]と書いたチラシが貼り付けてあります。それを青年が見つめています』
『袈裟を着たお坊さんが、お寺から門前に出てきました。車に乗ってきていた青年が、、お坊さんを迎えています。お坊さんは、急ぎ足で車のところへやって来て、「いそがしいのにたすかりました」とお礼を言っています。青年は、おとなしくお辞儀をしています』
『青年が開いた車のドアをくぐり、お坊さんは、「ま、ベンキョウ第一、がくせいうんどうはかんしんせんなア」と言いながら、車に乗り込んで行きました』
『車から降りたお坊さんは、続けて降りて来た青年と、何か、激しく言い争っています。お坊さんは「タクシにすりゃ良かった」と悔やんでいます』
お坊さんは、運転して呉れている青年に、車の中で何を言ったんでしょうか?
お坊さんは、学生運動が大嫌いだったようです。
お寺では、学生アルバイトを求めているのですから、車の運転をした青年は、学生であり、その学生は、学生運動の当事者だったかもしれません。
お坊さんは、車に乗り込む時から、学生運動は感心せんと言っているくらいですから、車内での、青年とお坊さんの会話は、お坊さんが、学生運動を誹謗する内容だったんでしょう。
学生である青年は、お坊さんの余りの言いがかりに怒ってしまったようです。
車の中で、激しく言い争っていたのでしょう。
しかし、お互いに相手の言い分に怒ってしまった二人は、車を降りても、怒りは収まりません。
車を降りても、まだまだ言い争っています。
いそがしい時に車で運んでもらい、助かった筈のお坊さんは、運転している青年と、余分の言争いに熱くなり、ますます忙しい思いをしたでしょう。
お坊さんは、青年の主張に負けるわけにはいきません。
学生運動が感心せんものであることを、この運転手の青年に、叩きこまねば、引き下がるわけにはいきません。
言い争っているうちに、お坊さんは、眉もつり上が、目も一杯に見開き、厳しい表情に変わり、言いたいこと沢山主張しました。
青年も負けてはいません。
負けずに大きく口を開き、一歩も引かないようです。
これじゃ、車が行き先に着いたとしても、言い争いは止められません。
当時、荒々しく展開して行く学生運動には、お坊さんでもなくても、嫌気がさしていました。
お坊さんは、特に、学生運動が嫌で、青年に学生運動を激しく非難したに違いありません。青年は、それに耐えられなかった。
お互いに引くことが出来なかった。
話しは変わりますが、お坊さんは、檀家へ御勤めに行くのにどうするのでしよう。
近くは、歩いて、
少し遠くでも、自転車に乗って、
遠くは、バイクに乗って、(この姿は時折見かけていました)、
より遠くは、車(自家用車に乗って)、
タクシで出掛けていたのでしょうか?
今は、自家用車でしょうね。