ゴルビー長田作品集 -9ページ目

ゴルビー長田作品集

読者が値段を決める手作り本

  明日は8月15日

 太平洋戦争は、昭和20年8月15日に終わったことになっている。だがしかし、8月15日はポツダム宣言を受諾する旨を、玉音放送を通じて国民に知らせると同時に、連合国に{「ポツダム宣言を打電した」に過ぎないのである。

 

実際はどうだったかと言えば、外地の第一線で三百万の将兵が命懸けで砲火を交えており、且つ内地では、地上軍二百三十万に加えて、民間人の男性十五歳以上六十歳、女性十七歳以上四十五歳までが「国民義勇隊」として召集され、竹槍を持って、本土決戦に備えた猛訓練の真っ最中であり、かてて加えて「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩き込み、降伏を禁じていたので、「玉音が放送」されたからといって、武器を置いて降伏する状況ではなかった。

この難局に当って、大本営作戦部長の宮崎周一中将は、禁じていた降伏を取り消すには、一定の時間を要すると考えて、先ず、積極的攻撃を禁じ、次に、自衛のための反撃を除く戦闘を禁じ、最後に、玉音放送から一週間後の「八月二十二日午前零時をもって一切の戦闘行為を禁止する」との大本営命令を出して、ようやく降伏実現に漕ぎ着けたのである。

斯様に戦争は、始めるときに比べて終結させることが如何に困難であったか、私たちは肝に刻まねばなるまい。昭和天皇の御聖断と、和平派の方々の命懸けの奮闘がなければ、ドイツのように、「分割占領」される危険もあったのだから。

なお、玉音放送を巡って国家が分裂しかねない緊迫の過程を、近現代史の権威半藤一利は、つぶさに調べて『日本のいちばん長い日』を世に出した。

 ともあれ、爆弾の雨が降る戦争は終わったけれども、国民は、「一千万人の餓死者が出る」と言われた食糧危機に直面し、食うため生きるための新たな戦争が始まり、力の弱い者が飢えて、次々に命を落としていった。

 この飢餓地獄から日本国民を救ってくれたのは、国民学校で敵は「鬼畜米英」と教わった、アメリカの食糧援助であった

 この現実に照らして、教育がいかに大事てあるかを、私たちは忘れてはならないならないのである。