『塩梅』という言葉がある。

まちがっても「しおうめ」じゃない。「あんばい」だ。そう、「良い塩梅だね 」と使う。

良かれ悪しかれ極めて日本的な言葉だ。
つまり、同じ文化的基盤(アイデンティティみたいなもの)を持った者同士だけで通じる、「さじ加減」の事だから。

「以心伝心」という言葉に通じるものがある。
ただ、「以心伝心」では、心と心との関係性だけが中心命題となっていたが、「塩梅」の場合はそこに「モノ」が必須の媒体として存在し、その「モノ」の作り方や取り扱いについて、心と心が同調している状態を指している。

逆に言うと、「モノ」が介在していなかったり「モノ」の状態が適切になっていなければ、心は通じあえないか、反発し合う可能性を持ち、ある種の緊張感をも包含する言葉でもある。

しかし、言葉を漫然と使っている限り、「塩梅」という言葉の表面上の印象からその種の緊張感を読み解くことは難しいだろう。

言葉は、読み手使い手によって、表す姿も多様であるということだ。
顔と顔を合わせた話し合いとは違うから、互いに情報不足でヒステリックになりやすい。

確かにネットの世界にはそんな現象がある。

しかし、考えてみれば顔を突き合わせた付き合いも馴れ合いになってたら、それこそ意味がない。

ネットは情報が溢れかえっている方が、誰かに押し付けられた情報だけしか選べないより安心…かどうかはわからないけど楽しいし、顔を突き合わせないから、ホンネも言える。

もし炎上するのが嫌なら、初めっから掲示板なんて社交辞令は辞めてしまえば良いじゃないか。

だって、掲示板なんか作っても、そもそも顔を突き合わせたのとは違うのだろう?

現実と名のつくものはすべて本当は仮想現実であるという事実。
ネットを介すると否とを問わず、誰もこの事実からは逃げ出せない。

だったら、最低ラインは意識した上で、めいっぱい偏った記事を書こうじゃないか。
若者は無関心だの、政治家は無能だのって言うけど、結局は、陰で文句言ってるだけの連中には何もできないのよね。

ばかばかしいくらい純粋に自分のステイタスや矛盾だらけの理念を追求するのが政治家のサガなんだし、普段は意見も聞いてやらない(あるいは形だけ)若者の無関心を文句言ってもしょうがないでしょ。

若者なんてそもそも政治から排除されてるじゃん。今も昔も。

それに政治の世界が組織化されていて、なかなか一般人がそこに風穴を開けるのは容易じゃないよな。

あくまでも個人は社会のパーツの一つに過ぎない…そんな扱いだからな。

でも、風穴を開けてやる…ソレくらいの度胸を、女も男も、若者には持って欲しい。

だって、自分の老後しか眼中にないジジイ達に政治任せてたら、ホント終わっちゃうよ、この国。