この映画は悦子視点ではなく、ニキの視点から観た方がわかりやすいと思います。
この映画は、悦子と佐知子が同一人物で景子と万里子が同一人物であるということです。
悦子視点で観てたら、絶対にわからない仕掛けになっています。
悦子は佐知子と万里子という人物を出すことで、ニキに説明しました。
この物語は、悦子自身が原爆の被災者であること、イギリスに渡った事などを描いた物語なのです。
最後にニキが写真を観て景子と万里子が、同一人物であることに気づきます。おそらくじろうとは別れたんでしょう。原爆の被災者だから。
じろうの事をあえてその後を描かなかったんだろうなと思います。
そして、1980年代は、景子の自殺という大きな心の傷が、自分を責め続けていた。
大人になるまでの事を描かなかったのは、景子の死が別の原因であることをあえて描かなかったということでしょう。子猫を入れた箱も写真に乗っていました。ニキはこれで確信をもてた。景子の自殺の理由は、お母さんのせいじゃないとはっきり言った。
佐知子と言う人物を出したのは、自分を責めてたからでしょうね。イギリスに連れて来たばかりに死んでしまったと思ったから。まさに1980年代は生と死のはざまに悦子はいた。それだけ心の傷が大きかったということです。役者の演技は素晴らしかったです。元校長と若い先生の言い合い。そう、自分が間違っていた。それがわかりつつも、死んで靖国神社に行くこと、それを生徒に教えていたことの後悔、そして、日本軍の大抵は、欧米諸国の侵略を防ぐために、日本は戦争に出て行った。植民地にさせないようにするための戦いだと思っていた。だが、実際はただの侵略に過ぎなかった。勝てるはずもないアメリカに攻撃をした事を見ても滅茶苦茶なのはわかります。アメリカの策にはまって、日本は負けた。ソ連も日本に攻めこんだ。これにより、次の戦いがアメリカとソ連の冷戦に変わっていく北朝鮮と韓国の38度線も有名な話しです。それは、おいておいて、ま、日本の戦争は間違っていた。だが、一般人は何も知らされてはいない。よって、戦争に反対という気持ちにはなれないということですね。自分達は、植民地にアジアがされないために戦ったと思ってるわけですから。うちの祖父も昔、言ってました。
戦争を反対する気にはなれないと。崇高な使命をもって戦っていたことを。うちの祖父は中国と戦っていました。そして、自分がいたところに中国人の女性がいて、戦後、その女性が中国から、逃がしてくれたから助かったと言っていました。戦争であっても、人を大事にする人は、それがかえってくるということの証明ですね。
だから、元校長と若い教師の言い合いは、二人共に気持ちがわかります。A級戦犯の連中は支配したかっただけでしょうから、自業自得です。で、問題なのは、靖国神社は、A級戦犯以外のたくさんの命が眠っている。それを、批判する国は間違ってはいるんですが、人の嫌がる事はしない。子供でもわかる事実を今の政治家はできていない。残念なところですね。元校長と若い先生の言い合いを見てそんな事を、考えながら観ていました。元校長と息子の対立、自分が戦地に行くとき万歳をしていた父を憎んでいました。それが、じろうです。こうやって、年月が経ってるからこそわかることもあります。でも、その当時の一般人にとっては、それが、正義の戦争だったということです。皆さんも色んな視点で観てみると面白いかもしれませんね。