私は、法制大学の内科で研究に新井助教授と石川先生の三人で、してるとあの天才ジャムカが、姿を現した。

ジャムカは、イギリスの誇る内科の権威である。

「石川、久しぶりだな」
石川先生は丁重に挨拶して

「ご無沙汰しております。

ジャムカ先生。

あなたが、来日しておられるとは思いませんでした。

今回の来日の理由は何故ですか?」

「恵里に教えてやりたいことがあってな。

恵里に一目おいてるのは、お前だけじゃないぞ。

お前は、北栄総合病院に戻れ」

石川先生は頭を下げて、教室を出て行った。

「新井、父上の葬式に行けなくて本当にすまなかった」

新井先生は首を振って

「いえ、ジャムカ先生は自慢の後輩だと良く言っていました。

来日して下さっただけで嬉しいです」

ジャムカ先生は、笑みを浮かべて

「君にそう言ってもらえると嬉しいよ。

君達に、これからの内科の未来のために伝えたいことかあるからだ。

私は、MMの研究と癌とエイズの研究をずっとしてきた。

これから、この病院にいるMMの患者を救ってみせる。

二人共よく治療を見ておきなさい」

こうして、治療を始めて新薬を使うと、MMの患者を半年間かけて救ってしまった。

「今回、助けられたのは、症状が重くなかったからだ。

これから、君達には私の研究を受け継いでもらいたい。

未来を切り開くのは、君達のような若者達だ」

そう、ジャムカ先生ご自身が、MMの末期だったのだ。

自分を、実験として使いながら、MMと戦い続けてデータを集めた。

その成果もあり、半年間も寿命が延びたと仰っていた。

「いいか。君達、内科的治療の発達こそが、何よりも大切だ。

内科的治療の発達なくして、外科的な治療は生きてこない。

内科的治療が、発達するからこそ、外科的なオペが、力を発揮し患者を救う。

それを忘れてはならない。

医学の進歩や、医療の進歩は、内科と外科が協力してこそだ。

救命の経験をしてる君達だからこそ、話すんだ。

人の命を救うというのは、並大抵のことじゃない。

目の前で死んでいく患者を、たくさん見てきた君達ならわかるな?」


私達は頷いた。

「はい。わかります。

痛いほど。

医療の発達が、どれだけ患者を救えるかと同時に新たな病が、また出てきて、それと私達は向き合わなければいけません」

ジャムカ先生は笑みを浮かべて

「その通りだ。

さすがは神山の弟子だけはある。

医療を発達させてきた先人達の気持ちを、忘れず受け継いでいきなさい」

私達は

「はい!」

と頷いた。

そして、ジャムカ先生は、法制大学病院で亡くなった……。

私達は、膨大な資料とCDを手にし、勉強した。

医療を受け継ぐ者として……。

私達は偉大な先人達のためにも、研究を完成させなければならない。

それが、医者にとっての生きるということだから。