改めて冬吾の人生について考えてみました。

津軽の大地主の息子として生まれ兄は内閣の書記官までつとめた大物、小作人が苦労してるのを見てきたのと前々から大地主の息子として生まれたというだけで何故特別扱いされなければならないのか納得いかなかった上に、それが決定的になったのが酔っぱらった勢いで友達と交番に石を投げ込んだ時、自分はすぐ釈放されたけど友達は、1ヶ月経って身体を壊してでてきたことで甘い汁を吸う側にはいたくないということで何もかも捨てて絵の道を進むことを決めました。

何不自由なく育った坊っちゃんがゼロからのスタートをきるそれが、どれほど大変なことなのか想像もつきません。

だからこそ絵に対する執念は、すさまじいものがあります。

だから冬吾の一つ一つの言葉には重さが感じられます。

桜子が、受験に落ちてピアノはもうやらない・岡崎に帰って二・三年花嫁修行して適当な相手と結婚すると言った時の

冬吾の言葉は、「一円があったとしたら絵の具と食べ物どっちかを買うとしたら絵を書きたくて絵の具を買ってしまうんだ。好きなもんだばやめらんねぇ。」

冬吾は、苦労に苦労を重ねてきて何度絵をやめようと思ったかわからないけど好きだから何があろうと続けてきたことを意味する重い言葉だと思います。

もっともその気持ちだけでできるほど甘くはありません。

冬吾はおそらく桜子から自分と同じ匂いを感じた・桜子が、「貧乏人は音楽家になれないのかな。」と言われた時の冬吾の気持ちは、「貧乏人は音楽家になれない。」とそういう事を言った人に対して内心許せなかったでしょうね。

とはいえここで桜子をコンサート会場にでも連れて行けば全て解決したきもするんですけど、そんなお金はなかったんでしょうね。

そこから先は、桜子との出会いによって大きく人生は変わりました。

芸術家の同士であり何でも話せる存在、お互いに辛い時助け合いました。

冬吾は、笛子と結婚したことで次々にトラブルが起こりました。

それでも一緒にいる理由は、桜子が誰よりも笛子の幸せを考えていて、笛子にとっての幸せは自分と一緒にいることだからと、そして絵の事を何もわかってない笛子だからこそホットしてる自分がいることに気づいてもいるからでしょう。

しかし、この二人は水と油の関係です。

この二人は、桜子の犠牲をもとに幸せを手に入れた、特に笛子もともとが真面目すぎる性格であるために文句は言えませんよね。

冬吾にしたところで桜子を困らせたくないという気持ちの強さがあるから笛子の全てを受け入れてます。

冬吾は、何度も逃げようとする度に桜子に「笛子と子供達のために逃げるな。」こう言われることで特に最後の二人だけのシーンの時に自分は家族のために生きることを選択しました。

冬吾も笛子も本当に不器用だと思わずにはいられませんね。

でも子供達が、二人を導いてくれるそんな気がするんですよね。

本当は、冬吾の人生てそれでいいのかと思わずにはいられないんですけど桜子の死後は、輝一と自分の子供達がいるから生きていけるはずです。