OFUJIのブログ

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昨日、家内と映画3丁目の夕日を観てきました。

アバター以来久々の3Dメガネでの鑑賞でした(^^)


泣き所も多くて、中々良かったです。


特に、クリエイティブ集団「白組」のCG技術は凄い!!


ノスタルジーに浸りながらも、こういう最新技術にも触れることが出来、

それを素晴らしいと感じることが出来る、今の自分と時代にも

感謝かな(笑)


ところで、この昭和の30年代に思いを馳せ、ノスタルジーを感じる人が

多くなったのは当然のように思う。


当時、青春を謳歌し又、高度成長期を支えた団塊の世代と、それに続く

楽しく幼少年期を過ごした我々の年代が壮・老年期に入って

この人口比率の高い世代が

「あの頃は良かった」症候群に陥っているのだから(笑)


この年寄りの懐古主義はいつの時代にも、又、どの民族にも

あてはまるようですが、こと日本の昭和30年代に関しては

ちょっと特殊事情があるように、私には感じます。


以前に読んだある本(タイトルは忘れましたが)によれば

日本の昭和30年代当時ほど、治安・衛生・偏見(差別)等において

ひどい、あるいは劣っている時代は無かったと指摘されています。


要するに、昭和30年代は(↑の分野で、今と比べて)

「良かったなんて、とんでもない!!」ってことなんでしょう。


それでも、あの時代が良かったと思えるのには二つの理由が

あるように思います。


1つは↑の指摘が事実であったとしても、今ほど情報が無く

疎かったせいで↑を取り巻く環境も未発達で、要は

良く言えばおおらか、悪く言えば、ええ加減な世の中だったので

今なら大問題になるであろう事が、当時は知らない、又は

こんなもんだろうで済まされていた分、そこが今と比べて

自由であり、開放的だったと錯覚しているところ。


もう1つは、その前の時代が余りにも悲惨だった為に

それに比べれば・・・・の相対的な見地から。


さらに我々の年代に限っては、未だ幼く無邪気に遊んでいただけの

楽しい思い出としての要素がそれに加味されるのだが・・・・。


話が長くなってしまいましたが・・・・。


私は、単純にノスタルジーに浸れる人生は悪くないと思いたい。

検察の捜査で4度も不起訴になった人物が、改正検察審査会施行により

市民で構成する検察審査会の議決によって強制起訴された為に

事件から10年以上も経って、昨日から始まったこの裁判。


これが、裁判員制度同様、いわゆる市民感情に照らし合わせての

「民意」の結果だとすれば、次はこの事故の被害者や遺族の感情に配慮して

この元副署長は既に刑が確定している人と同じく、何がなんでも

「有罪」でなければ、「有罪」にしなければならないのだろう。


これが時代の趨勢、世の中の流れというものなのだろう。


で、なければ、司法の専門家の判断で4度も不起訴になった者が

改正された制度の下で裁かれること自体、意味をなさなくなってしまうと思う。


これが、私自身がこちらサイドに立ったと仮定しての結論である。


かたや、副署長の立場に自分を置いてみる。


もし、自分がこの副署長の立場であったとしたら、私は今の時点で

以下の3つの思いを抱くと思う。


「(権力を持たない)民間の警備会社の責任者が罪に問われている以上、

公的に責任ある立場であった私には、何らかの罪が適用されるであろう」

という覚悟と


「しかし、4度も不起訴になった者がこうして裁判を受ける羽目に

なったのは単に運(時代)が悪かった」という思いと


「その結果、有罪となれば(元々その覚悟はあったので)甘んじて

受けるけれども、それはいわゆる無過失責任という組織上での

責任の取り方であって罪の意識は薄い」


そして、こういう本音を漏らすだろう。


「当時現場にいなかった私のような立場の者を無理矢理

お白州に引きずり出したところで被害者感情には

応えられるかも知れないけれど何ら、事故の再発防止には繋がらないだろう」と。


思考レベルが低く、人格も劣っている(そのことを自覚している)

私ゆえの発想かも知れないが、未だ、服役の覚悟があるだけマシか(笑)


もう一つ、別の観点から私の思いを述べると・・・・・。


この時の群衆一人一人に自覚や危機意識は無かったのだろうか?

無かったとすれば、彼らは被害者であると同時に加害者でもありはしないか?

だとすれば、片方の管理当局者だけを糾弾したところで

根本的な解決には至らない=またこういう事故は起きると予想するが、どうか?


責任の所在を明らかにすることは重要だが、初めからこちらサイドには

何の過失もない前提で、普段は国家権力などに対して抵抗するくせに

こんな時だけ国家権力でもって抑圧しろというのは、ご都合主義ではないかと

私は思う。


どうせ今、駅に向かって行っても(子供連れでは)

途中で身動き取れなくなるだろうから危ないと、人々が流れ出すまで、

海岸で子供たちを遊ばせていた親も沢山いたのである。




「この世の中には変わっていくものと変わらないものがある。

そして、その変わらないものとは、同時に変わってはいけないもののことである。」


これは、私の結婚式の時に、我ら二人へのはなむけの言葉として

上司から頂いたメッセージである。

 

いささか哲学めいており、又、この言葉が当てはまる状況というのは

いろんなジャンルやシチュエーションで存在すると思うが

その時の私にとっての「変わらないもの。変わってはいけないもの」とは

「妻への愛であり、裏切るようなことはしないという誓い」であったと思う。


あれから、はや29年。


この決意というか、自分なりの解釈どおりの結婚生活を歩んで来たと胸を張って

言い切れるかというと、いささか自信はないし、又、その評価は

相手(家内)に判断を委ねるものなのであろうが、少なくとも

「変わってはいけない、変わるようなことはしてはいけない」という意識が

あったことは事実である。


私には娘が二人いるが、どちらも適齢期に入ってはいるものの、

未だそれらしき兆候はない。


いつか、この話を披露する日が来ることを願っているのだが・・・・。(笑)

これもPart1とほぼ同時期に出会った出来事である。


この年、阿部定事件をモチーフにした大島監督の「愛のコリーダ」が

(厳密にいうと、映画そのものではなく、その出版書籍の一部が)

わいせつ物頒布罪に問われ、世間を騒がせていた。


当時はこの争点が猥褻か否か、猥褻か芸術か?あるいは

憲法で保障されている表現の自由や猥褻とは何か?

といった観点から論じられることが多かった中で

当の大島渚監督が「猥褻が何故いけないのか?」

「猥褻で良いではないか」と主張していたことに対して

丁度そのころ、法学部に入学したての私にとっては、目から鱗の

視点であったと、いたく感銘を受けたことを覚えている。


このことは私自身にとって、初めに○○ありきで始まる論理の展開や

「その前提が間違っている所からの」議論といったことに注意を払う癖を

身に付けるきっかけとなったことで、その意義は大きいと思っている。


その後・・・・司法はその判断を避けているように思われる。


まあ、実際のところは、その時代の社会通念に照らして現行の刑法

(174条とか175条とか)の適用を発生主義で検討していけば良いのであって、

猥褻のなんたるかを論じる必要は無いのかも知れませんが・・・・・。


あれから、35年の歳月が流れ・・・この愛のコリーダのノーカット版が

ユーチューブでも見られる時代になって猥褻の適用除外の範囲も

広がったと言うべきでしょうか。


ちなみに、私は法の適用外の所で、猥褻何が悪い!を実践しております。(笑)




随分、昔の話で恐縮ですが・・・・。


私が高校3年の時の話である。


現役生を対象にした、ある予備校の夏期講習に参加した私たちは

そこで担当講師からこんな質問を受けた。


「現在の日本で皆さんにとって、一番良い大学はどこでしょうか?」と。


真っ先に頭に浮かんだのは東京大学や慶応大学。


それからすぐに思い直し、法学部なら○○大学、工学部なら○○大学というように

学部によって分かれるというのが正解だろうと構えていた。


その講師の答えは違っていた。


曰く、

「貴方に学びの機会を与えて下さる大学。それが(貴方にとって)

一番良い=日本一の大学です。」


うがった見方をすれば、予備校の立場として(どこでもいいから入って)単純に

合格率を上げたい故の発言とも受け取られますが、

当時18歳のピュアな私の心(笑)には、そして、何がなんでも○○大学!!

受かるまでは2年でも3年でも・・・初志貫徹!!なんて意気込んでいた私に

とってはまさに、目から鱗の言葉でした。


そして、その講師はこうも付け加えられました。


「この考え方は、就職にも恋愛(結婚)にも通じるものがあります」と。


あれから36年、私は↑だけではなく、この考え方に沿って生きてきたように思う。

そして、その人生を振り返ってみて、今のところは後悔はない。

これで良かった。幸せだったと思っている。


そりゃあ、欲を言えばキリがないし、妥協の繰り返しだと言われれば

それまでですが、逆に地に足が着いていないというか、自分の立ち位置や

現実を直視出来ず、自己を見失うことが無かったことは幸いでした。


そして、何より、自分を取り巻く環境に(この考え方だと)不満からではなく、

「感謝」から入れることで、生きやすくなった気がします。


これから先、どのような人生が待ち受けているかは知りませんが

自分が関わっているもの、関わっていくもの、全てがベスト、全てが感謝の

対象であるという考え方で、救われていくように思います。


あるがままを受け入れて、出来るだけこだわる心を持たないように

していきたいと思います。








橋下新市長の動きが、就任前にも関わらず活発で頼もしい。


その橋下氏の動きに対して、マスコミも既成政党も、

機を見るに敏というか、あざといというか・・・・

そう感じるのは私だけでしょうか?


確かに、あの選挙の勝ち方、民意の方向性を考えると

分からなくもないですが、とどのつまりは、

「勝てば官軍、負ければ賊軍」ってことなんでしょう。


それはともかく、、今は国政より大阪府市政の方が面白い(笑)


物事は相対的であるため、

比較対象となる国会が、あんなアホみたいなレベルの低い発言で

すったもんだしている状態ゆえに、橋下氏の言動を際だたせて

いるのかも知れません。


その最近の橋下氏の発言で、「おっ!」と思うのは

(明治維新以来変わっていない)この国の仕組みを変えないと

何も変わらない、沈没していくだけと主張しているところ。


その視点に立って、まずは大阪都構想ということであるならば

話の辻褄は合う。


それが実現し機能していった後は、その実績をテコに国政に転じ

大阪維新の会も名前を日本維新党に改め(笑)

政権政党になって国を変えていって欲しい。


私は、都構想実現という条件付きではありますが

それを実現させたならば、その政治的資質及び手腕を持つ彼であれば

次世代の首相候補としては(他の人との比較においても)

十分あり得る目なのではないでしょうか。


橋下さんは7歳から大阪に住んでいるとのこと。

これをもって、大阪出身というのは異論もあろうが

私はあえて大阪出身者と位置づけたい。


そして、鈴木貫太郎、幣原喜重郎に継ぐ3人目の

大阪出身の総理大臣になって欲しい。


先の二人は、終戦・戦後の混乱期に首相になられた御仁。


混迷を深める今の時代にこそ、大阪出身のトップがふさわしい。

最近になって知った話であるが

1500万円程で宇宙旅行が出来る

民間人対象のパッケージツアーがあるとか。


詳細を聞いてみると、全行程100分位のフライト。

メインは、高度100km位の宇宙空間で

4分間の無重力体験をするものであるらしい。


え~っ!!それで1500万?

無重力なら、地上で疑似体験が出来る施設があるのでは?


絶対高い!!


まあ、良く知らないので、その値打ちが分からないだけかも知れませんが。


しかし、宇宙旅行と銘打つくらいなら、やっぱり

宇宙空間にポッカリ浮かんでいる地球を見てみたい。

それが、見られて、この価格なら納得するが・・・。


そこで、(以前のことがトラウマで)あまり気乗りはしなかったが

Yahoo知恵袋に質問してみた。


そうすると・・・・。

地球全体を見渡せる高さというのは、最低でも地球の直径

即ち12700km以上の高度が必要なんだとか。


↑だと、かなりデカイらしい。

で、そこそこの大きさで見ようとすれば高度3万kmは欲しいとのこと。


そういえば、昔アポロ17号が撮った地球の写真も

確か地球からそれくらい離れていたような記憶が・・・・。


問題は、その高さというか距離で民間人がそこそこの費用で

地球を見られるのは、もっと先になるらしいとのこと。

(何十億とか、お金に糸目をつけなければ早いらしいが)


そりゃ、そうだろうと思う。

↑のように高度100km程度のところで、未だこの価格なんだから。

(2桁違う)


それにしても、特別な訓練を受けた宇宙飛行士とはいえ

もう40年以上も前に、その地球を見た人間がいるというのに・・・。


初めて人類が月に降り立った時、私は小学校6年生だった。

あの頃、21世紀は遙か遠い未来であった。


そして、少なくとも21世紀を迎える頃には

人類は火星には到達しているだろう、

いや、上手くいけば木星も夢ではないと、そう思っていた。


それが、一般人とはいえ、3万キロメートルの所までさえ

行けないなんて・・・・。


あ~、自分が生まれたこの地球を見てから死にたい(^^)




松井・橋下両氏の勝利で終わった大阪府知事選・市長選

私の期待通りで大満足である。


私はもっと接戦になるかと思っていたが・・・。

まさか、既成政党支持者の側からあれだけの票が

橋下・松井陣営に流れるとは・・・・・。


その選挙結果を踏まえてか否か、手のひらを返したかの

ごとく、橋下・松井ラインにすり寄っていく民主・自民


未だ未だハードルが高い大阪都構想だけれど

こういう状況だと結構上手く進み出すのでは?


まずは、大阪市役所職員解体&市議会議員リコールだな(^^)

(いや、まずは自主投票の公明党と手を組むのが先か)


それにしても、平松さんは、かわいそうだと思う。


平松さんが悪い訳ではない。

平松さんは立派な市長でした。

平松さんへ投じた52万人の有権者の方がむしろ良識ある人々だと思う。


しかし・・・国政レベルで評判の悪い2大政党が応援したら、

(しかも共産党まで協力して)

そりゃ~少なくとも浮動票は流れてこないでしょ。


事実、既成政党支持者の半分近くの票が流れてしまうんだったら

浮動票も、もっと割れる選挙に持ち込まなきゃ勝ち目は無かったと思う。


それに片方は(良いか悪いかはともかく)一応ビジョンを掲げて

戦っているのに対し、片や「反独裁」一辺倒では

倒した後、どこかの国のように「内戦」の混乱を想像してしまった

人も多かったのではなかろうか。


あと、しつこいようだが、橋下に対し判官贔屓の気持ちを抱かせる結果に

なってしまった、あのバカ週刊文春と新潮の暴露記事。


週刊文春なんて、私の若い頃、「弘前大教授夫人殺し」の冤罪事件を

追っていて、それはそれは格調ある素晴らしい週刊誌だったのに・・・。


この度の1件で、少なくとも一人は購読者が減ってしまいました(笑)


それはともかく、色々平松さんの取り巻く環境&状況が悪すぎた、

足を引っ張られ過ぎたと思っています。



私たち橋下・松井支持派の多くは、言ってみれば

末期ガン患者の心境で2人に投票したんだと思う。


即ち、このままでは命が危ない。

死期は早まるかも知れないけれど、思い切って危険な手術を

受けてみよう。副作用のきつい薬を飲んでみよう・・・との

リスクを覚悟の判断だったように思う。


そういう意味では、脆い集団(民意)かも知れないが

二人が前を向いて進んで行く限り、応援しようとするであろうし

抵抗勢力は排除されて行くと思う。


もう、あとが無いと思っている集団である。

この集団を切り崩すのは、それへの抵抗では無くして

(彼らの構想に替わる)別の選択肢の提示である。



明日の今頃は結果が出ていると思いますが、個人的には

橋下さん&松井さんが勝って欲しいです。


これまで述べてきたように、私は部外者ですが無党派層としては

橋下&松井ラインに肩入れしたくなります。


あのバカマスコミが選挙直前に、全く政策や個人の資質とは関係の無い

暴露記事で橋下前知事を批判したり、国政では、いがみ合っている

政党同士(あろうことか、あの共産党までも)が、橋下憎しで

(その後のビジョンも無く)結束し、組織票を固めてるっておかしくないですか?


判官贔屓とは、本来、弱い者や同情される方に味方したり

応援したりすることですが、その意味では橋下さんは該当しないはずですよね

何せ独裁者って言われているんですから(笑)


でも、結果、判官贔屓になってしまう所に反対陣営の不味さがあるのでは

ないでしょうか?


反対派からすれば、このように感じる私は

完全に橋下に洗脳されているバカ男ってことになるのでしょうが

だとしたら、もしそれであなた方が橋下に敗れたら(敗因を)

「大阪市民・大阪府民はバカの集まりだったから」って言って下さい(笑)


もし、あなた方が勝ったら私は素直に

「申し訳ありません。私と違い、大阪の方々は良識のある賢い方々ばかりでした」と

お詫び致します。


私が思うに、橋下氏の言動を「独裁」ととらえるか、強いリーダーシップと見るかの

違いで意見が分かれるように思う。


しかし、その対立する見解も恐らくは

「行動力の無い、何もしない、無能な」者よりはマシという点では一致するのでは

なかろうか。


で、あれば こういう選択肢のある選挙に自分の1票を投じられる

大阪府民・大阪市民の方々は幸せということになるのではないか。


今日は天気が良さそう。


誰か、私の代わりに橋下&松井に清き1票を!!



以前のブログに、キャビアはチョウザメの卵だが、そのチョウザメは

「サメ」の仲間では無いということを(その時、初めて知ったので驚いて)

書きましたが、海の生き物関連でもう一つ。


ズワイガニは「カニ」だが、タラバガニは「カニ」ではなく、

ヤドカリの仲間だっていうこと。


これって、意外と知らない人は多いのではないでしょうか?


業者も大々的に(その違いを)アナウンスしてませんし、どちらかというと

身が多く、ボリュームのあるタラバの方が人気があるように思いますし、

そのせいか、タラバの方が値段も高かったりする場合もあるようです。


しかし、私は思う。


この比較、この食べ比べが例えば、こちらは牛肉、こちらは豚肉と

種類が違うことを分かっていて、どちらが美味しいかを論じているのなら

納得ですが、どちらも「カニ」との前提で比べていたとしたら不幸です。


つまり、美味しいものを食べたいなって思って、その結果タラバガニを

たらふく食って「あ~うまかった」と満足するのは問題ありませんが、


美味しいカニを食べたいって思って行って、結果タラバガニを食わされたら

それは(カニを食べたことにならないので)詐欺ではないですか?


あるいは、美味しいカニですって、タラバを贈ればそれは間違いだし

(相手がそのことを知っていれば)自分の無知をさらけ出した挙げ句

本物のカニのズワイの方を贈れば良かったと後悔する人も出て

くるのではないでしょうか?


結論

カニを食べたいんなら、食べさせたいんならズワイガニ!!


これで決まりです(笑)


(それでも、タラバの方が美味しいっていうのは全く別の話。

それはズワイよりサンマの方が美味いと言っているのと一緒)


ちなみに、松葉ガニ、越前ガニ、間人(たいざ)ガニは

松阪牛、神戸牛と同じ、オスのズワイガニ(産地)のブランド名

(松葉は兵庫~島根、越前は福井・石川、間人は丹後町)


この名前で売っていて、身が少なかったら文句言えます(笑)


最後に、「かにみそ」はカニの脳みそではありません(笑)

肝膵臓という、肝臓と膵臓の働きをしている内臓部分です。


ついでにもう1つ。


ズワイガニの甲羅に黒いツブツブが付いていますが

これは、カニビルと言ってヒルの仲間の卵だそうです。


その種類のヒルが産卵する場所には、卵を固定する

堅い場所が少ないので、やむなく同じ生息域の

(堅い)ズワイカニの甲羅に産みつけるんだとか。


で、これが一杯付いているってことは

カニの脱皮後の時間が、かなり経過している証拠になり

身入りが良いので高級品だそうです。


ご参考まで(^^)