うちはもともと農家で
大根、ジャガイモ、お米をメインで生産していました。

父が亡くなってからは農家廃業な感じで
家で食べる分だけをばあさんが作っていたようですが、
そのばあさんも今ではすっかり体が不自由で畑仕事が出来ない状態。

農家だったおかげで
農業ツールは充実していますが、
私にはノウハウがない。

ばあさんとはあまり仲がよくなかったんですが
生きてるうちに畑作りのコツをきいとかないと笑
と、ぎこちないですが
ちょっと畑の話を通して会話ができるようになりました。

きいてみるもんですね。

最初の土作りからつまづいていましたが、
いい肥料を教えてくれました。


畑や田んぼは色んな場所にあるのですが、
一番近い家の前の畑でやることにしました。

ちなみに帰ってきた段階で草ボーボーの状態。


アトリエ・・・自分の城。


うちの納屋の二階はものおきになっています。

しかしこの間覗いてみたら
ほとんどすっかり片付いていました!

マムマムが片付けを頑張っていたようです。


じゆうに使っていいようなので
アトリエ計画でございますー


いろんなものづくりをここでやりたい。


専門でやってきたこととは違いますが、
今テキスタイルの分野のことに興味があって
染め、織り、プリントなどなどやってみたいです。

お裁縫も。
ミシンがほしいです。

自分で生地を作って
お弁当バッグとかつくりたい。
25歳の女です。

スローライフはじめます。



修士課程を卒業し、
一度は東京で働く事を夢見ましたが、地元に戻ってくることになりました。

つまらない生活を送る事になるんだろうなあと思っていましたが
そんな私、今ではとっても楽しんで暮らしています。



そのきっかけになったのは



3月11日、
あの地震の日、偶然にも私は東京にでかけていました。
そして、姉の家にいたところで地震に見舞われました。
激しくていつ終わるかわからない長い揺れの中で感じた
絶望感
死の恐怖
初めて命の危険を感じ、生きたいと願いました。

揺れがおさまった時には
壁に亀裂がざっくり入っていました。

急いで準備をして非常階段を降り、マンションの外へ。
余震でもとても揺れました。

しばらくボーゼンと立ち尽くしているしかありませんでした。
メールも電話も出来ません。
iモードも使えない。
ワンセグでテレビはみれるものの、電池がなくなってしまう。

その後、近くの学校へ避難。
体育館て本当に寒いんですね。
配給された、緊急時用の毛布。
初めてみました。

マンションに戻るのはおそろしいものの
ここにいてもしかたないので夜に戻ることに。

その夜、本当は彼氏に会いに行く予定でした。
でもメールもとぎれとぎれ。
電話はつながらない。

何より交通機関が動いていない。

一度は会うのをあきらめました。


しかし9時頃?
銀座線だけうごいたのです。

家の固定電話からホテルになんとか電話が繋がり
彼と連絡をとることができました。


タクシーは拾えない状態。
バスと地下鉄を乗り継いだら、待ち合わせしているホテルまでいけるとわかりました。

外に出ると
沢山の人がただただ歩いて帰っていました。
見た事もない光景。

普段は1時間もかからないところ。
9時すぎに家を出てから2時間半くらいかかりました。
やっと会う事ができました。

そして13日彼と再び晩ご飯を食べる約束をしていたのですが
その朝、大きい余震があって目が覚めると義兄さんが
今から準備してとにかく西に逃げるんだ。と。

姉と一歳にもならない甥っ子と3人で
一秒でも早く逃げなきゃという状況になりました。

家の中を片付けて
金目のものだけもって車で東京駅へ。

新幹線に飛び乗って実家に戻りました。


それから原発の事故や死者数等
この地震、津波での被害が明らかになっていきました。


自宅の引越が迫っていたので
実家から自宅に戻り引越を3月下旬にして
実家暮らしが始まったのです。

地震を経験して田舎のよさがわかりました。
都会のあらゆるものが機能しなくなって人だけ溢れかえるおそろしさ。
ものもない。
便利だと思っていたのが一瞬にして不自由な暮らしを余儀なくされる。
今回のことで都会の危うさをすごく実感しました。


これまで学校でものづくりをやってましたが、
あらためて手作りのよさ、
また自分は作ることが好きなんだなと思いました。

そして、25歳のいま

スローライフの目覚めとなったのです。