背番号8が躍動した。24日ぶりに一軍復帰したサトテルが、5番3塁、マルチ安打で、はつらつとした動きを見せ、課題の守備も問題なくこなし、タイガースの連敗をストップさせた。昨日、久々に野球を満喫することができた。今日も頑張って欲しい❗


 早朝6時に起床し、窓を全開にする。今朝は朝から暑い。微風のせいか、余計に暑く感じる。朝食を用意し(トースト、チーズ、バナナ)、アイスコーヒーを飲む。食べ終わったらすぐに食器を洗う。手慣れたものだ。

 布団を畳み、ベランダから洗濯物を引き上げる。洗濯物を整理して、ゴミ袋にゴミをまとめる。家内が退院して、帰宅した時、ゆっくりできるように、部屋を片付け、きれいにするよう、心がけている。来週初めには退院できそうなので、一安心だ。それでも、退院したからといって無理はさせられない。できるだけ手伝うようにしたいと思っている。頑張るちゃだ❗


 結婚して今年で47年、家内は7歳年が下で、出会った時、私は25歳、家内は18歳だった。高校を卒業して、短大に入ったばかりの家内と、どうして知り合ったのか、あまりよく覚えていない。覚えているのは、家内がハワイ、西海岸を旅行して、私に土産物を買ってくれたことだ。そこから付き合いが始まったと思う。

 決して女性にもてるようなタイプではない私だが、これまで、女性に付き合いを申し込まれたり、中には、困っていた私をみかねたのだろう、一年間、世話して尽くしてくれた一つ下の女性がいたりと、一見、モテモテの二十代前半を過ごした。友人たちは皆、そのことを不思議がり、魔法でもかけているのかと口を揃えて言い、負けているところなど何もないのにと訝しがった。

 それでも私は、女性に悲しい思いをさせたことは一度もない。振られることはあっても振ることなどなかった。熱心にアプローチしてくれた女性たちの多くは、両親の反対にあって頓挫した。理由はいろいろある。私の家庭の問題と、中学を出て大阪に住み、1人で生活していること、定時制高校出身で、おまけに地域の書店の店員で、将来性がない、同棲していたことがあるなど、数え上げれば切りがない。私が親でも反対したかも知れない。

 もともと結婚願望の薄かった私だったから、両親の反対は、当然のことだと、笑って受け止められた。そんな中で、両親の反対を押しきって、私と共に生きることを決心してくれたのが家内だった。

以来、47年だ。決して優れた亭主ではないが(問題が多い)、不幸な思いをさせたことはない。そんな家内が入院した。そして、もうすぐ退院する。少しでも長生きしてもらえるよう、頑張りたい。今日も私は、作品づくりと、主夫業に邁進するっちゃ❗